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BOY MEETS NUMBER GIRL

日比谷野音でNUMBER GIRLとeastern youthの対バンを観た。といって17歳の私は信じるだろうか。でも観たのだ。観てしまったのである。しっかりとこの目でこの耳で。

5月初旬の日比谷野音。曇り空、若干の湿気とともに夕方からライブは始まった。上手側最前列一番端というおそらく一生分の運を使ってしまったであろう座席からただひたすらに二組のバンドの演奏を浴び続けた。外音用の大きなスピーカーが眼前に位置していたので、この日一番でかい音でライブを観たのは間違いなく私であっただろう。吉野寿氏を始めEastern youthの各々が鳴らした一音目から轟音と呼ぶに相応しい音が私の耳の奥の奥まで届き、全身に鳥肌がたつとともに、これはとんでもないところに来てしまったという実感があった。

そこからNUMBER GIRLのアンコール終了まで轟音の中を潜り続けた。目の前では、10代の時、映像と音源を追い続けたスーパーヒーローたちが躍動し、その動きと同時に体内には鋭く鈍い音が鳴り響く。10代の頃から追い続けた幻影があっけなく目の前にいる事実に呆気なさを覚えたりもした。

時代柄と場所柄、観客の海にもみくちゃにもならず、歓声もない。彼らと私の間には視覚的にも聴覚的にも全感覚の方位において障壁もなにもない。演者と観客という境界線は轟音に溶けていきどんどんと薄くなっていく。無心に音を浴びながら意識と感覚は鮮明であった。2バンド全員の個性が爆発して、グラウンドゼロからそれを感じる。そんなことがあっていいのだろうか。田渕ひさ子氏のマーシャルヘッドの上に置かれたお~いお茶の紙パックに、古ぼけた脳内映像を重ねて、もしかしたら古い夢を見ているだけなのかもしれないと思ったりもしたが、向井秀徳氏の背後、追い続けた映像には絶対に出てこなかったであろう揺れるマスクに現代を感じるリアルを取り戻した。終盤、OMOIDE IN MY HEADのイントロ抜け、おそらくかつてなら観客全員が叫んだであろうところ、轟音と轟音の間で誰も音を発しない無音の時間が一拍だけ流れ、2022年の現代に私はNUMBER GIRLを観ているのだという実感をますます加速させた。彼らは確かに実在し、そして過去から未来に向けてずっと駆け抜けていた。

駆け抜けている姿を一瞬だけ捉えた夜だった。
eastern youthもNUMBER GIRLも今を演奏していて、
昔をなぞったりしてる自分を少し恥じた。

観ることができて良かったと心から思った。
生きてりゃいいことがあるなと思った。


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