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#3 腑に落ちる
「パンセクシュアル」
このワードを何回検索窓に入力しただろう。
たくさん調べた。
その中で分かったことも
このnoteで書き綴っていけたらと思う。
そんな中で、どストライクに私の中に刺ささり
思わず興奮してしまった記事がこちら。
「シャルちゃんと学ぼう パンセクシャルとは」
---以下引用---
『パンセクシャル』の意味として、「誰かを好きになるとき、相手の性別を気にしない人」とお伝えしました。これを分かりやすく言えば「好きになった人が好き」であり、男性・女性としてではなく“人として好き”という感情が多くを占めています。
「パン(pan)」はギリシャ語で「すべて」という意味であるように、すべての人を好きになる可能性があることから「全性愛者」とも呼ばれます。しかしこれは、全人類を恋愛対象として見ている訳ではありません。あくまでもその可能性があるというだけであり、相手の人間性を重視することが多いという意味では、パンセクシャルの恋愛対象はとても狭いと言えるでしょう。
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「わたし、これだ」
読んだ時に、すっと腑に落ちた。
とっても気持ちが軽くなった。
それまでは、ふらふらゆらゆらと
何かにこだわることはせず
だけどどこか不安定で、
イカリが付いてない小船が大海原を
ゆらゆら漂っているような
そんな、自由のようで、不安な状態だった。
カテゴライズされるということが
安心するってこういう気持ちなのか。
いや、自分が何者かということの
カタチが見えたような
そんな不思議な感じ。
もっと知りたい。
単純に、そう思わずにはいられなかった。
自分を知りたい。
この世に生まれて、自分が知らなかった自分を知れることに
少しの不安と、期待が生まれた。
この時代だから、湧き出た感情かもしれない。
周囲に、アライが多いからこそ
ポジティブに受け止めることができたのかもしれない。
それは想像するしかないけれど
この個性と、向き合ったり
向き合わなかったり
とにかく、小さな宝箱を見つけたような
そんな気持ち。
宝箱をちょっと開けてみたり
蓋してみたりしながら
ちょっとずつ中身を見てみようと思う。