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実家に帰らせていただきます【掌編1000字】
サンジュニャーは流しで洗い物をしていた。3人の子らを寝かしつけた後のこと。天蓋の先で眠るマヌとヤマとヤミーの姿を思い浮かべる。母としての幸福感と程よい疲労感とがない交ぜになり、今宵はよく眠れそうな気がした。
「あ……あの……サンジュニャー」
不意に後ろから声が飛んできたが、彼女は振り返らなかった。遅く帰ってきた夫、名をスーリヤという。少しばかり、いや、かなり名の知れた神。地上に遍く恩恵をもたらす太陽神だ。
しかし夫がどれほど高名だろうが彼女にとっては迷惑な存在でしかない。婚姻により女神の地位についたのを喜んだのは束の間のこと、その結婚生活は熾烈を極めるものだった。
「ねえ……その、今夜どうかな?」
スーリヤの腕が伸びてきて、愛しい妻の体を包み込もうとした時、突として室内に眩い光が迸った。
「熱っ! ってか眩しいっ!!」
サンジュニャーは叫んだ。触れられた肌が焼けて身じろいだところに、夫から発せられる千の光線を直接目に入れてしまったのだ。
「ごっ、ごめん」
スーリヤが狼狽えて腕を引っ込めると、徐々に光が弱まっていく。
しばらくして、サンジュニャーは何かを決意したような顔で声を上げた。
「実家に帰らせていただきます」
「ま、またそんなことを言って、僕はどうしたらいいか。子どもたちも君なしでは生きていかれないよ」
「こんな夜はもう懲り懲りだわ! 熱くて眩しくて眠れやしない。本気です、私は実家に帰りますからね!!」
背を向けて肩を戦慄かせる妻の声は、すっかり怒りに震えていた。
「……分かった。ならせめて送らせてほしい」
取り付く島もないことを悟ったスーリヤは、身を翻して車輪の姿へと変わった。
「ほら、この姿なら熱くも眩しくもないだろう?」
スーリヤは首尾よく7頭の馬を用意し、自らも馬車の一部となった。
夫のせめてもの償いにサンジュニャーは折れるしかなく、渋々と屋形を設えた台へと登る。彼女が腰を下ろしたことを確かめると、スーリヤは馬に命じて走らせ、自らはゴロゴロと転がるに任せた。
夜空を駆ける馬車。サンジュニャーは一切口を開かず、スーリヤも黙々と妻の身を運んだ。
彼らが通った後ろに、輝く礫や粒子が流れていく。光の轍が夜に橋を架けていた。紛れもなくスーリヤが産み落としているものだ。こんなに美しい絵を描きながらも、決して偉ぶることのない夫。
ややあって彼女は轍の先に想いを馳せた。子どもたちはちゃんと静かに眠っているだろうか。
「……引き返して」
「え?」
サンジュニャーのぶっきらぼうな言い草に、スーリヤは反射的に聞き返した。
「家に戻るって言ってるの。実家に帰るのはやめました!」
スーリヤは嬉しさを隠しきれず、左右の車輪を操り、いそいそと来た道を引き返した。家まで続く光の轍に乗って。
再び黙りこくるふたり。しかし先ほどまでとは打って変わった空気感にスーリヤの箍が緩んだ。
「なあ、やっぱり今宵は一緒に寝てもいいかな?」
「嫌よ、あなたはこの姿のまま外で夜を過ごしてください」
── Fin. ──
◇
ヴェーダの太陽神スーリヤとその妻サンジュニャーの逸話では、本当に実家に帰ってしまった後に身代わりの妻を立てて更に一悶着あります。神話らしい面白味、滑稽さを立ててこのような物語にかえてみました。オリッサ州にあるスーリヤ寺院には、高さ3mもある車輪が24個にも渡って彫られています。太陽をモティーフとしたものです。
◇
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