12. 花の都へ(アルタ③)【花の矢をくれたひと/連載小説】
不定期連載の『花の矢をくれたひと』
インド神話をベースにした小説です。
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【登場人物】
アビルーパ(愛神カーマ、悪魔マーラ)
魔神シヴァを射る宿命を背負った愛神カーマの化身の1つ。ウッジャイニーに住む司祭の子息として転生した。
ヴァサンタ
春の神ヴァサンタの化身でアビルーパの親友。ヴェーダを学ぶためにアビルーパの家に出入りしている武士の子。
ダルドゥラカ
商人家系の子息でグプタ王朝の諜報活動員。シャイシラカ・アビルーパの僧団に潜入していた。
シュカ アビルーパの従者の鸚鵡
【前話までのあらすじ】
魔神シヴァを射る宿命を背負った愛神カーマはバラモン家系の子息アビルーパとして転生し、シヴァを射るための3本の矢を捜していた。父シャイシラカの僧団でヴェーダを学んでいたダルドゥラカが、グプタ王朝の諜報活動員であることを知り、彼の情報網を頼りに矢を捜索することになった。
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12. 花の都へ(アルタ③)
「うぉーーー、こりゃあ絶景だ! ヒマーラヤまでちゃんと見えるぞー!!」およそ雲と同じ高さで北東に向かって飛ぶ。目指す都市のさらに奥にはヒマラヤ山脈の畝が広がっていた。ダルドゥラカは山を見つけてははしゃぎ、川を見つけては喜び、高原を見つけては叫んだ。
「皆さま、お久しゅうございます〜。それにしてもしばらく見ない間に、ご主人のお友達が増えられて。このシュカは嬉しいような寂しいような鶏冠が締め付けられる思いでございます〜」鸚鵡のシュカは空を駆けながらずっと喋り続けていた。久々に鳥籠を出られた喜びは、口数という形で表現された。アビルーパたちの空の旅は、叫び声とお喋りとでうるさいほどに彩られていた。
礼拝の後に結託した3人は、それぞれの抱える事情を明け透けに話した。神々の戦争やシヴァ神を射る使命などといった話は、ダルドゥラカには俄に信じられなかったものの、鳥籠から出た鸚鵡が巨大化して喋り始めたことや、ヴァサンタが通り過ぎた後に花が咲くのを目の当たりにして、少しずつだがふたりの話を受け入れていった。
ダルドゥラカはふたりが矢を捜すのを手助けするために、グプタ朝の首都パータリプトラにある諜報活動員の集会所に名うての情報屋がいることを教えた。そしてその人物を紹介するために自ら同行を申し出たのだった。
「ねえ、なんでついてくるの? せっかくアビルーパと二人旅できると思ったのに」ヴァサンタはそう言ってむくれた。
「ははは、お前ら2人でパータリプトラに行ったところで、あの人にはぜってえ辿り着けねえよ。それに……俺にも野暮用があってな……」そのときダルドゥラカの瞳が弱々しく翳ったのをヴァサンタは見逃さなかった。小指を立て「絶対に彼女だよ」とか言ってアビルーパに同意を求めたが、彼は気の抜けた返事しかしなかった。
父に挨拶もせず勢いだけで故郷を出てきたことが少し気にかかっていた。その一方で、愛神カーマとしての使命も重々承知していた。シヴァを射るのはカーマとしてか、アビルーパとしてか、それともまた別の化身としてか。転生するごとに抱えるものが増えていくとしたら……輪廻する人世を厭わしく思う人間が出てくるのも仕方のないことだ。アビルーパはそんな事を考えながら、現れては過ぎてゆく雲ばかりを眺めていた。
数時間の飛行で首都パータリプトラに到着し、シュカは市街地からわずかに離れた、人気のないガンジス川の岸辺に着陸した。背から3人を降ろした途端、小さな鸚鵡の姿に戻ってアビルーパの荷に紛れ込んだ。
ガンジス川の対岸は遠く、両岸の間を悠々と流れる水が、アビルーパの時間感覚を狂わせた。故郷もまたゆっくりと時の流れる場所ではあったが、川はもう少し忙しなかった。水面の銀色の煌めきが緩やかな音楽のように感じられ、3人はしばし川に見惚れ、川に聞き惚れていた。
しじまを破ったのはダルドゥラカだった。
「さてと……ここからは変装が必要だな」と言って、担いでいた麻袋を2つ地面に下ろした。アビルーパとヴァサンタにとってはウッジャイニーを出てきたときからずっと中身が気になっていたものだ。置かれるとひしゃげた感じになり貨幣のように思われたが、それにしては表面が滑らかだった。
「お前ら……服を脱げ……」
「へ?」「え?」 ダルドゥラカの突飛な命令に、アビルーパとヴァサンタの驚く声が重なった。
「いいから、脱げぇー!!」いきり立つように大声を上げ、ダルドゥラカは勢いよく2人の上衣を剥ぎ取ろうとした。非力なヴァサンタは即座に陥落し、アビルーパは抵抗を見せたが屈強な腕力になす術もなく、そのうちに2人とも脱がされてしまった。
「な、なにを……ケホッケホケホッ」ヴァサンタが怒りを顕わにした矢先、頭上で麻袋がひっくり返されると、大量の粉が落ちてきて彼の身を包んだ。意表を突かれたことでつい吸い込んで、むせてしまった。
「お前もだ!」ダルドゥラカはもうひとつの袋を掴んで振りかぶると、アビルーパめがけて力一杯その中身をぶちまけた。灰色の粉が舞い散り、辺りは霧が立ち込めたようになった。
「ブハッ……な、何だよこれ……灰?」やがて宙空を漂っていた粉がゆっくりと落ちていき、現れたのは頭髪から爪先まで灰色にコーティングされたヴァサンタとアビルーパだった。
「ギャーッハハハハハ、傑作だ。こりゃあ、何べんやっても笑えるわー。よーし、俺も塗るかな……」ダルドゥラカは大笑いしながらしゃがみ込み、地面に落ちた残りの灰を手に掴もうとしたとき、頭上で殺気が蠢くのを感じて冷や汗を垂らした。
「喰らえ!!」アビルーパがダルドゥラカの後頭部を掴んで、灰の山に勢いよく顔を押し込んだ。「ゲホッ!何すんだよ、てめぇ」顔を上げたダルドゥラカは、鼻の穴にまで灰を詰め込んでいた。仕返しの応酬が始まった。アビルーパの足を掴んで引きずり倒す。ダルドゥラカに馬乗りになる。灰の上で灰を擦りつけ合い、揉みくちゃになる2人。
「ね〜、汚いのヤダ〜、沐浴したい〜」ヴァサンタはひとり立ち尽くして泣き出した。そうこうしている内に3人とも、髪の生え際、眼窩、鎖骨の窪み、臍の穴まで、ありとあらゆる場所が灰で塗り尽くされた。
「終わりだ、終わり!もうこれで集会所に潜り込めるから、アビルーパ!悪かった、冗談だよ、やめ、やめろぉぉ!!」アビルーパはやめない。
「ねえ〜、これヤダ〜〜〜」静謐なガンジス川に、3人の怒号と泣き声と笑い声が響いた。
「こほん……というわけで、聖者に変装するため体に粉を塗ったわけだが、安心しろ。本物の死体の灰は入っていない。植物の乾燥粉末で似せて作ったものだ」
「ほんとにぃ?」一切信用できないといった顔でヴァサンタはダルドゥラカを睨みつけた。
「ああ、神に誓って大丈夫だ……あ、でもこれだとシヴァ神には背くことになっちまうかな。まあいっか。あとは仕上げにこれだ!」ダルドゥラカは別の袋から小さな木片のようなものを取り出した。そのひとつの面にはグプタ王朝の紋章が刻まれており、スパイの焼き印を捏造するつもりなのだと見て分かった。
「この印に牛の糞と特殊な塗料を混ぜたものを付けてだな……」
「ね!え!! 汚いのヤダ〜〜〜ッ!」
互いに粉を擦りつけ合い騒ぎ立てているうちに、アビルーパの心からは物憂さがすっかり姿を消していた。
── to be continued──
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【簡単な解説】
変装のために灰を模した粉を体に塗りたくって大騒ぎした3人。これはインドの伝統的なお祭り・ホーリー祭に着想を得ています。
豊作を祈る、春の訪れに感謝するなどの意義を持った伝統行事に、さまざまな神話や宗教が組み合わさって大々的な祭りになったと言われています。この時は無礼講が許されており、階級・性別・年齢・宗教など関係なくカラーパウダーを付け合うことができます。縛りから解放されて触れ合い、踊り、騒ぐことで日頃の鬱憤を晴らすためのお祭りとも言えます。
↑ひとり嫌がっていたヴァサンタ君のできあがりはこんな感じでしょうか?
また、灰を体に塗った聖者に変装する、という発想は聖者サドゥーから来ています。現代にもいる修行者です。サドゥーにも幾つかの系譜がありますが、今回は主にシヴァ派のサドゥーをモティーフにしています。
ヒンドゥー教シヴァ派と言っても、その信仰形態は驚くほどバラエティに富んでいます。聖典を重視した派閥、哲学的な神学を作り上げた派閥、ひたすらヨーガに従事した派閥など。カーパーリカ派という宗派は、火葬場の灰を体に塗り付け、人間の髑髏で作ったアクセサリーで飾り独自の修行を行った人たちでした。カーパーリカへの最初の言及は、紀元後3〜5世紀頃に書かれた詩の中にあるそうです。
今回は主にWebからの情報を参考にしました。