オーエス新世界 【ストーリア夏祭り2023】
こんにちは! 神話創作文芸部ストーリアを主宰している矢口れんとです。
本記事は毎年執り行っているストーリア「夏の企画」に寄せて書き下ろした掌編小説です。
2023年のテーマは『ストーリア学園』!!
普段は主として神話らしい幻想世界を舞台にした小説を書いている僕ですが、今回は珍しく現代の高校生たちを描いてみました。どうぞお楽しみに!!
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『オーエス新世界』
オーエス:OH HISSE(仏)引き上げろ
*諸説あり
世界の始まりなんて見たことないけど、きっとこんな混沌だったのではないかと、糸を繰りながら私は思った。
机と椅子は四方へ寄せられ、教室中央に空いた場所で繰り広げられているのはなんと「綱引き」だ。血気盛んな男子たちが、4対4に分かれてオーエス、オーエス。それはフツウの綱引きと様相が違った。
両軍の中央には円錐形の山がそびえ、その斜面にロープが何周か巻きつけられている。山の中心には軸棒が通され、西軍の引く力が勝れば時計回りに、東軍が勝れば半時計周りに回転するように造られていた。
はじめは野球部3対サッカー部3で試してみたそうだ。大型スラッガーのキャッチャー岡田を有する野球部が圧倒的勝利をおさめ、山は一方向にしか回らなかった。そこで野球部チームにバドミントン部員を、サッカー部チームには相撲部員を追加してみた。すると東西の勢力は美しい均衡を見せ、綱引きは毎度面白い展開を見せることとなった。
8人の競技者に対して観衆はただ1人、中央の山の手前に座り込む男子、谷垣だ。綱を引いている面々に比べると随分とヒョロくて頼りなさそうだが、実は彼、国際「物理」オリンピックに出場経験のある鬼才。本企画の要と言っていい存在だ。
「ダメだダメだ、そこで水平に引いたら軸がぶれて山がうまく回らない、床に対して-15から-25°の角度で、頼むよ」
谷垣は自分の体の2倍はデカい岡田にも怯むことなく捲し立てた。
岡田は一瞬ムッとして見せたが、谷垣が自分らのことなど一切見ておらず、座標軸と力動の世界だけを注視していることを知っていたので、子どもじみた態度を捨て競技に徹することにした。
教室の中心から目を離し、一周見渡してみる。工作をする生徒、絵を描く生徒、文章を考える生徒。めいめいが自分勝手に世界創生に勤しんでいた。
高校三年生、最後の文化祭の準備中。私はというと、赤いサテン生地に糸を通して、ひだをつけている真っ最中。豪奢を装うのも神話の醍醐味だろう。
あの山が世界の中心だ。本来あの頂に立つべき神がいるはずだった。しかしその男は神の立場を拒絶し、世界の片隅で世界の外側をぼんやりと眺めていた。
「悪かった、本当に悪かったよ。ただこれだけみんな盛り上がっているんだ。わかるだろう? 折れて引き受けてくれないかな。あ、ならさっ!マック3回分でどうだ! 頼むよ、李人、なぁ、聞いてる? 李人」
窓際の一隅で、学級委員長のしどろもどろした声がずっと鳴り響いていた。相手からまともな返答を得られず、まるで窓ガラスに映る自分とひとり問答しているかのようだった。
ここから見える「李人」は、凪の海のように押し黙りながら、うなじの毛を逆立てていた。委員長の声は李人から動作の1mmたりも引き出すことができない。後ろ姿から伝わってくる張り詰めた緊張。陸上部所属の彼の、走り幅跳びの助走前にも似ていたが、心中は全く違うのだろう。
なかなか去ろうとしない委員長。業を煮やした李人は素気なく立ち上がり、すっと歩き出した。制服のワイシャツの内側の生地に、陸上部らしいメリハリのある骨格をリズミカルに滑らせながら、こちらへと近づいてくる。
(その後ろでは、惨敗を喫した委員長が両手を合わせ「頼む」と懇願していた)
「おい、トメ」
「トメって呼ばないでよ、宇部李人」
この令和の時代に、幼馴染は私のことをときどき昔風の名前で呼ぶ。揶揄うときや、うざ絡みするときや、今のように本気で怒っているときなんかにも。
「留田静佳、お前もいたんだよな? 文化祭の出し物決めの時」
「いたよ、だから何?」
私は針を動かす手を止め、幼馴染の顎をじっと見上げた。また背が伸びたか?
「……この裏切り者」
押し潰すような低い声で私をなじり、李人は教室を出て行った。ごめん李人。そして、ごめん委員長、私まったく役に立たなかった。
さて、どうしたものか。今さら文化祭の出し物の内容を変えられるはずがない。李人を除いたクラスメイト全員が、この演目に運命めいたものを感じ始めている。マハーバーラタ、インドの神話や民話を寄せ集めた叙事詩。その第1巻に収められた或る創世神話。
発端は「流行ってるモノを片っ端から列挙しよう」だった。そこで挙がったのが、世界中の神格をキャラクター化した有名ソシャゲ(確か非政府組織みたいな名前)と、世界興収うん百億円のインド神話をモティーフにした映画だった。
すかさず飛びついたのが文芸部の矢口。インド神話の中に神々と悪鬼が綱引きをして山を回し、海を掻き混ぜながら世界を生み出す話がある。うちのクラスにはガタイのいい奴が多いしこれを劇風にしたら面白いかも!と。
件の神話について矢口があれこれ喋っているうちに物理マニア谷垣のハートに火がついた。綱引きで円錐体を回すには、力学的に効率のよい回転と攪拌とは、いったいどうしたら良いか。谷垣は「今日から俺は寝ずに考える」と眼鏡の片隅を光らせた。こうなった彼を誰も止めることはできない。
役者、大道具、小道具、音響、ポスター、当日の受付に呼び込み……ドミノ倒しのように数分のうちにクラス全員の役割が決まっていった。こんなまとまりを見せることは初めてだ。
そしてこの日、陸上部の引退試合のために公休となっていた宇部李人は、神劇の主役とも言うべきヴィシュヌ神の役を「勝手に」割り当てられたのだった。
ブチ上がった集団のテンションを誰が抑えられようか。みな過去の経験から分かりきっていた。ただでさえグダグダになりがちな学園祭の出し物を決める会議、ここで誰かが異議を申し立てようものなら、帰宅が大幅に遅れることは明白だ。
そこでクラスはふた手に分かれた。「宇部李人を売る者」と「宇部李人の存在を忘れたふりをする者」とに。同情心は無粋として切り捨てられた。
ヴィシュヌ神のことはよく知らないけれど、矢口が言うにはインド神話の最高神と名高い神の一柱らしい。この神話の中でも山の頂に鎮座しただ創生を見届けるという。そんな崇高な役が罰ゲームみたいな雰囲気で決まったことは可笑しくもあるが、なんなら名誉ではないのか、なぜ拒む、宇部李人。
……と言うのは流石に意地悪が過ぎるか。
少なくとも私の知る李人は、人前で神の役を演じられるような人間ではない。目立つようなことをひたすら避けてきたシャイボーイだ。陸上部に入ったのも、走り幅跳びを選んだのも、自らの特性とよく相談しての結果だったのだろう。
それでも李人は空気の読める男である。クラスのために一肌脱ぐくらいの度量は備えているはずだ。しかし、実は、マハーバーラタの『乳海撹拌』の神話の終盤には、ヴィシュヌ神が自身の妻であるラクシュミーに変身して悪鬼たちを誘惑する描写があるのだ。
──つまり女装の場面がある──
宇部李人がこの役を拒む一番の理由はおそらくこれだし、クラス全員がこの役を余らせ、我先にと他の役割に挙手していった理由もここにある。そしていま私の縫い物をしている手が震えるほどに愉悦を覚えている理由もこれである。
──宇部李人の女装姿を見てみたい──
私は場に居ない幼馴染を窮地から守るどころか、素知らぬ顔で衣装係に名乗りを上げたのだ。とりたてて裁縫が得意なわけじゃないし、美術的センスに優れているわけでもない。ただこれを好機と思った。
もし、もしも、神話通りに劇を進めるのならば、李人の女装を拝めるだけでなく、その女装を自らの手でプロデュースできる。千載一遇のチャンスだ。
この倒錯した感情はいったい何なのだろう。
李人の体に、気軽に触れられなくなったのはいつ頃からだったか。中学3年生の頃、彼の肩のあたりに骨張った部分と肉肉しい部分が共生しているのをふと見つけたのだった。ゆるりとした曲線だった場所は、いつの間にかごつごつとしていた。
その場所に、手を伸ばしながら引っ込めた夏の日があった。自分の胸が膨らみ始めた時にも感じたような戸惑い。もし触れて確かめたら、李人が別の生き物になってしまったことを認めざるを得ない気がした。
もはや萌芽の段階を超えた雄々しさを隠すことはできるのか。今、彼が女装に耐えうるかどうかは私にとって決して小さくない問題だ。
ふと卓上でスマホが2秒震えた。メッセージアプリの通知が宇部李人の名前を告げている。
〈静佳、さっきは悪かった。でも俺やっぱり主役も女装もイヤだ。お前から委員長に言ってくれないか?〉
ひとつため息をついて、スマホから顔を上げる。
運動部員たちはまだ逞しくオーエス、オーエスしていた。山がビュンビュン音を立てて回ると、谷垣が天を仰いで歓声を上げた。眼下に原稿用紙を置いて呻いていた矢口も、ペンを投げ捨てて頂を振り仰いだ。誰もが手を止め刮目する。
クラスメートたちの熱気に当てられてか、体の内側で何かが蠢くような感覚が湧き上がってきた。それは私の脳髄に達し、妙な幻覚を見せる。
山の斜面に乳白色の液体が滲み出し、海へと流れ落ちていった。そこからあらゆる事物が姿を現し始める。
あまりに妙ちくりんな創世。脈絡も根拠もなく、流れて生まれ、また流れてゆく世界。今さら誰に止められようか。
私はスマホの画面を消して、縫い途中にしていた糸を強く手繰った。生地のまっさらな場所にキュッとひだが生まれた。
絶対に着せてやるんだ、この衣装を、宇部李人に。ドサクサに紛れてしまえばいい。恨まれたってかまうものか。やはり私は宇部李人の女装が見たい。
この倒錯した感情は幼少期への退行ではない。逆だ。あわよくばあの肩や背に触れてみたい。じゃれ合いとか、どつき合いなんかではなく、もっと粛々と改まったふうに。
私はいつの日からずっと意識の下で狙っていたのだ。「幼馴染の関係を壊すタイミング」を。その機会を最後の文化祭に定めたのだ。
── Fin. ──
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神話創作文芸部夏の企画『ストーリア学園』
次回は8月15日(火)
担当は成瀬川るるせさんです!
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ご支援頂いたお気持ちの分、作品に昇華したいと思います!