【掌編】 賛歌と鼻唄(note神話部3周年記念祭)
本作品はnote神話部3周年記念祭に寄せた掌編小説です。お題は「怒りを歌え」。この文言を作中に挿入することが条件になっています。どうぞお楽しみに!
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賛歌と鼻唄
「おい、少年。いいかげんその仏頂面をなんとかしろ」
遊牧の青年は見るに見かねて、ピシャリと苦言を呈した。彼より頭ひとつ分低いところに並ぶ、その少年の顔は不平不満の色で厚く塗り固められていた。
「そんな顔で王兵の前に立ったら斬り殺されても文句言えねえだろうが。巻き添いを喰うのはごめんだ」
心底迷惑そうにぼやく青年。まったく聞く耳を持たない少年。一触即発のふたりの後ろには、よく躾けられた牛の十数頭の歩く姿があった。
澄み渡った空の下。暑くも寒くもない3月の爽やかな日のはずだった。気候に反したどんよりとした空気は、少年の胸の内が滲み出したものに他ならない。
「君は、胸が痛まないのか?」
「俺の胸が? なんで痛むんだよ。動物供犠なんて当たり前のことだろうが。この国だけじゃない。西でも東でも、あちこちでやっている」
その当たり前のことが少年にとって当たり前でなくなったのだ。
こっそりと後ろを振り返り、ウルヴァンと名付けられた牡牛の顔を窺う。折檻された直後の奴隷のような、陰鬱とした表情をしている。
少年はますます罪悪感を募らせ、たまらなくなって首をブンブン横に振った。
昨夜、普段はおとなしいウルヴァンが散々に鳴いて暴れた。牛飼である少年の父は暴走を制止しきれず、踏まれて肋を3本折った。
本来なら今この道を歩いているのは父のはずだった。城に牛を奉上する途上だったが、負傷によりそれが叶わなくなった。
たまたま同じ目的で城に向かっていた遊牧の青年を見かけて、父は自らの息子と牛たちを託したのだった。
昼と夜の長さが同じになる春の日、この国では大規模な祭りが催されるという。新年祭と銘打って、大量の牛を供儀として屠り、酒の肴にする。古来の風習を踏襲したイマ王は、牛肉の3分の1を自分自身に、3分の1を城の者たちに、残り3分の1を国民に与えた。そうして士気を煽り、富国と豊穣とを祈願したのだ。
国中から牛が集められるものだから、たとえ一部だとしても民衆を満足させるには充分な量があった。
「ウルヴァン、ごめん、ごめんよ」
お別れの時。少年は牡牛をきつく抱擁した。
供物となる牛を出迎えに来た王兵らの面前でのことだった。さっさと任務を終えたい兵たちは、少年の哀惜を慮ることなく、さっさと背後に回って鞭を鳴らした。柵の内へと吸い込まれていく従順な牛たち。ウルヴァンもあえなく少年の手をすり抜け、知ってか知らずか自らの足で死へと向かった。
夕陽が、帰路を茜に染めていた。少年にはその色が血の赤にしか見えず、張り裂けそうな胸を堪えつつ重だるい足を運んだ。
「ウルヴァンは生まれたときからよく僕に懐いていたんだ。彼の鳴き声なら、まるで人の言葉のように理解できた」
「ハッ。それで同情心が芽生えましたってか。ずいぶんと都合の良いこった。お前だって去年は牛肉を食ったんだろうが」
少年を父の元まで送り届けるさなか、遊牧の青年は馬鹿にするような口調で言い放った。世話焼きなのか突っ慳貪なのか分かりかねる男だ。
「そうだ、僕は食った。過ちに気付いていなかったんだ。悪を知らなかった」
「言うねぇ。供犠は過ち、王は悪だというわけか」
青年の挑発的な物言いに、少年は臆せずこくりと頷く。ガキと言われようが世間知らずと罵られようが構わない。むしろ望むところだ。
しかしそんな決意とは裏腹に、青年は神妙な面持ちで少年の顔を見つめ返してきた。
「なら、イマ王を殺せばいい」
「え」
聞き間違いだろうか。冗談だろうか。いくら青年が放浪の身だとしても行き過ぎた発言。こんな不敬、許されるはずがない。
自分より幼年の者に目で咎められても、青年は恥入る様子もなく続けた。
「そうだろ? 動物供犠をする王が悪で、異議を唱えるお前が善とでも言うなら、王を殺してお前が王になれ。それで供犠を廃止すればいいじゃないか」
少年はほんの一瞬、思い浮かべてしまった。自らの手に握られた血塗られたナイフと、足元に這いつくばう惨めな王の姿を。
「……殺さない。それじゃあ王国のやっていることと一緒だ」
「そうか」
遊牧の青年はいったい何に満足したのか、茜空を見上げて小粋な笑みを浮かべた。そして矢庭に鼻唄を口ずさみ始めた。
その明朗な調べは、この国では聞き馴染みのないものだった。
少年はしばし彼に見入り、唄に聴き入った。荒んだ心の表層がほぐれていくのを感じたが、奥底のわだかまりを拭い去るまでには至らなかった。
やがて青年は少年の複雑な胸中を察して唄を止めた。
「お前も歌ってみろよ」
「う、歌う?」
「ああ。怒りを歌えってな。牛の怒りを。偉ぶってる王さまに抗議してやれ。ウルヴァンって牡牛の代わりに」
「うまく歌えるか分からないけど」
「ついさっき牡牛の言葉が分かるって言ったばかりだろ。聞こえたままに歌えばいい」
少年はまるで歌を知らない。遊牧の青年のような美しい声も旋律も持っていない。
しかしウルヴァンと過ごした日々を想うと、どこからともなく言葉が湧き出てくるようだった。
昨夜の叫声を思い返す。僕は非力だった。僕は無力だった。そこで少年の腹が決まった。
空の果てを見据え、徐にその口を開く。
『非力な牛飼に囲われ
無力な民草に貪られ
名ばかりの天則に踏み躙られた魂
王よ 我らがこの身を捧げるとすれば
楽園と平安とを創出する
始元の国の建設者にのみ』
「おっ、なかなか詩人じゃねぇか」
「そうかな」
思いがけぬ賞賛に少年は照れつつ、自分でも不思議に思った。口を衝いて出てきた詩歌はとても自分の言葉に思えなかった。
「お前は牛の代わりに歌を献詠すればいいさ。その抵抗が国を、いや、世界を変えるかもしれないな」
「君は? 世界を変えたいとは思わない?」
「ははは。鼻唄で変えられたら苦労はねえが、けしかけたからには俺もやってみるかな」
全くその気のなさそうな言いぶりに少年は吹き出し、青年もつられて一緒に笑った。
突如、背後でボッという音が鳴り、ひび割れた大地の一隅から火が立ち上った。自然発火だ。この一帯では時折見られる現象だが、夕暮れ時に起こるのは珍しかった。
少年は橙色に揺らめく火の内に、牛の不滅の魂を見たような気がした。
遊牧の青年は一転して、儚げに目を細めた。
「この火も見納めだな」
「えっ、どこか行っちゃうの?」
「ああ、東のでっかい河を越えて、北の長〜い山並も越えて行く。俺の理想郷を目指して。じゃあな、少年!」
背を向け、たちまち駆け出した青年を、少年は慌てて呼び止めた。
「待って、名前!」
「俺はシェンラプだ。お前は?」
「ザラスシュトラ!」
この日この地に、ふたりの聖者が誕生した。少年は王の代わりに神を打ち立て、賛歌を詠じながら火を崇めた。青年は旅の果てに本物の青空を見つけ、鼻唄まじりの瞑想に耽った。
どちらも善悪を二分したことに違いなかったが、彼らがふたたび相見えることはなく、それぞれの思想が混じり合うこともなかった。
〈了〉
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ゾロアスター教の聖典『アヴェスター』より第29章「牛の抗議」に着想を得て書いた掌編です。同章は動物供犠への抵抗を牛の魂に語らせた詩文となっています。神(アフラ・マズダー)にも食ってかかるその物言いは、まさに怒りを歌っているようです。作中で少年が歌った頌歌は、この詩文を参照して創作しました。
作中の少年はゾロアスター教の開祖であるザラスシュトラをモティーフに作り上げた想像上の人物です。一方、遊牧の青年はチベット宗教の古層にあるボン教の聖者シェンラプ・ミボをイメージしています。
ふたりが同時代、同地域に生きたという記録はどこにもなく、この物語は完全なるフィクションです。
また本作品は何らかの宗教的信条を主張するために描かれたものではありません。あくまで物語としてお楽しみいただければ幸いです。
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