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「諦める」はネガティヴなことばかりでもない

私は元々諦めるのが早い方だと思う。歳を重ねるにつれその自覚はどんどん強まっていき、昔よりも今の方がさらに諦めるのが早くなったと思う。

「諦めたらそこで試合終了ですよ」

これはおそらく30代、40代くらいの人たちなら一度は聞いたことがある名言ではないだろうか。バスケットボール青春漫画の「SLAM  DUNK」で、バスケ部顧問の安西先生が選手たちに投げかける言葉だ。漫画で登場して以来、この名言はあちこちで使われるようになっているのでもはや漫画を知らない人でもこの言葉を知っている人はいると思う。

この言葉以外にも「諦めないで」とか「ネバーギブアップ」など、諦める人を鼓舞するような言葉は世の中に沢山存在して、私たちは無意識のうちに「諦めること=悪いこと」と認識している。だから何か壁にぶち当たった時私たちは「諦めてはいけない」「諦めたら負けてしまう」と脅迫されているかのような心情になり奮起するのだ。
もちろん、それが大切な場面だってある。
絶対に合格したい資格試験だったり、絶対に負けたくない試合だったり。そういう時は諦めない気持ちが大切だし、安西先生の言うように諦めたらそこで試合終了なのだ。

しかし何でもかんでも諦めないのが大事なのだろうか?
諦めることは本当に悪いことなのだろうか?
私はその疑問を元に「諦める」ことについて少し掘り下げていきたいと思う。そして「諦める」ことに対して恐怖心を抱いている人たちにこの内容が何か少しでも前向きになれるきっかけとなったら嬉しく思う。

「諦める」ことのTPO

前述した通り、諦めてはいけないコトももちろん沢山ある。
絶対に負けたくない試合、絶対に合格したい資格試験の勉強、などなど。
しかし、自分が抱えているすべてのものに対して諦めないで接していたら心や頭はパンクしてしまうし、それは欲張りともいえる。

例えば、私はダンスのテクニックや振付で上手くできないことに対しては諦められずに出来るまで何時間でも時間を費やしてしまう。しかしその一方でゲームでクリアできないステージや、オンラインゲームで何回やっても負けてしまう時、私はサクッと諦めて「今日はもうやーめたっ!」と放り投げる。
ダンスは私にとっては仕事でもあるので、仕事と完全に趣味のゲームを比較してはいけないが、もしこれでダンスを仕事ではなく趣味にしていたとしても私は同じ選択をしているだろう。
つまり、「諦める時」と「諦めない時」や、「諦めてもいい時」と「諦めたくない時」の二つに分類しているのだ。これは意識的に分類している時もあれば、無意識に分類している時もあると思う。いわゆる「諦める」のTPOとでも言おうか。色々な条件、状況、理由などから「諦めていい時」と「諦めてはいけない・諦めたくない時」に分けているのである。

ではそのTPOはどのような条件・理由があるだろうか?

まず分類をする際このような条件が挙げられると考える。
・対象物が趣味やプライベートな範疇にあること。
・諦めるか否かのどちらの判断をしても第三者に迷惑かけないこと。
・諦めるか否かのどちらの判断をしても生命を脅かすほどの不利益を被らないこと。

他にも理由はあるだろうけれど、ざっとこれくらいの条件が上がる。
例えば先ほどあげた例を使うならば、ダンスが趣味だったとしてダンスの練習とゲームの練習はどちらも趣味の範疇であるし、諦めようと諦めなかろうと第三者に迷惑をかけることはない。さらに、諦めても諦めなくても自分の生命を脅かす程の何か恐ろしい結末は待っていないことは確かだ。そうなると、こちらは「諦めようかな、どうしようかな」と考えられるくらいには心や頭に余裕があるので意識的に「諦めよう」「諦めずに頑張ろう」と判断できているのではないか。

では逆に、これが絶対に負けられない、例えばオリンピックでの試合だったり、行きたい会社に採用されるための試験だったり、はたまた今にも崩れそうな崖の端っこに片手を引っ掛けている状況だとしたら?
まず試合は諦めてもし負けた場合、チームメンバーに迷惑がかかるかもしれないし賞金がかかっているような試合だったりしたら大きな不利益を被ることになる。採用試験ならそれは趣味ではなく自分の人生を左右するターニングポイントなのだから諦めるわけにはいかないだろうし、崖から落ちるなんて危機的状況で諦めたら生命を脅かすどころか生命が無くなるのが目に見えている。
要するにこれらは「諦めようかな、どうしようかな」などと悠長に考えている余裕がないものばかりだ。「諦める」などという選択肢がはなからないのだから「諦めないで頑張らなきゃ」と奮起するしかないが、「諦めない」と判断するプロセスは頭の中で踏んでいるはずなのでこの状況は無意識的に判断している状況なのだと私は思う。

「諦めない」は美徳ではない

結論から言ってしまうと、「諦めること」は決してダメなことではないし、諦めてばかりいることを「ダメな自分だ」と思って落ち込む必要はないということ。逆に、「諦めない」ということは決して美徳でもないのだ。

自分が諦めたくない、諦められないと思うことを最後までやり抜くことは美しいしかっこいいかもしれない。でも全ての物事を諦めちゃいけないなんていう意識でやっていたら身がもたない。
諦めることは甘えでもないし逃げでもなく、ただ一つの選択肢なだけだ。

諦めたくないと自分が思ったら、その時は諦めずにやれるとこまで頑張ってみればいいし、諦めたくなったらそれもそれであり!
それくらいシンプルに考えたって、バチは当たらないでしょう。

安西先生、諦めても終了しない試合もなかにはあるかもしれませんよ?(笑)

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