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忘れ去られていくノスタルジー

それは数年前、母と丸の内を訪れたときのこと。
まだコロナ禍真っ只中で、私は仕事を全て休む羽目になっていて時間を持て余している状況だった。学校で教員として働いている母もそれは同じで、お互い休みが合うこともなかなかないし引きこもっていても鬱々とするだけなので二人で散歩しようということになった。
母が行き先に選んだのは、かつて母が銀行員として働いていた丸の内。皇居の中を歩き回ったり、丸の内のビル街をのんびりと歩いた。

母が丸の内で働いていたのはもう40年以上も前のこと。
それだけの月日が経てば街並みが変わるのは当然で、母が働いていたオフィスビルも取り壊されることが決まっていた。訪れてみると、ビルの周辺は解体作業の準備のために囲われている状態だった。
丸の内の大通りにはオシャレなカフェや衣類店が並ぶ。クリスマスの時期にでもなれば夜にはライトアップされ、イルミネーションスポットとしても有名だ。

記憶の中の丸の内

「私が働いていた時は全然違うねぇ」
母が歩きながら何度もそう口にした。昔はおしゃれなカフェなんてなくて、食事どころといえばサラリーマンがひしめき合う定食屋。母はほとんど毎日自宅からお弁当を持って行ってたそう。
もちろん衣類店なんてものもないから仕事帰りに買い物、なんてことをしたかったら銀座まで歩いていかないとできなかったそうだ。

母が働いていた頃の丸の内はオシャレとは程遠い、オフィスビルが立ち並ぶ街だった。
そんな昔と比べたら、そりゃあ今の方が丸の内は魅力的な街になったと思う。

でも、変わり果てた丸の内の街並みを見つめる母の目は寂しそうだった。

思いがけず再確認

あれから数年後、私はNetflixでとあるドラマを見ていた。
コラムニストでありラジオパーソナリティーも務めるジェーン・スーさんのエッセイを元にしたドラマ「生きるとか、死ぬとか、父親とか」
これはジェーン・スーさんの自伝とも取れる物語なのだが、若い頃に亡くした母親のことや、家族のことを顧みず母が闘病中に不倫をしていた父親のこと、その父親をずっと許せないまま年齢を重ねてきたスーさん自身の心の葛藤が描かれている。
このドラマを見ながらさまざまな思いや考えが頭に浮かんだが、それに関してはまた別のNoteにまとめるとして。
驚いたことに、なんとこのドラマの中で私が数年前に丸の内で感じたものと同じことが描かれていたのだ。

ドラマ第4話「時代とか 東京とか」にその場面は出てくる。
主人公のトキコは自分のエッセイが銀座のタウン誌「銀座百点」に掲載されたことをきっかけに、父親とそのタウン誌を探しに銀座に出かける。しかしかつて若い頃に銀座を闊歩していた父親にとって、現代の銀座は昔の面影もなく変わり果てていたのだった。馴染みの店が移転したり無くなったり。父親が昔から愛していたお蕎麦屋さんも閉店してしまっていた。
そんな変わり果てた銀座の街並みを見て、まるで知らない場所だと呟くトキコの父親。

変わりゆく東京。そこに寂しさを抱いたり、物悲しさを感じるのは自分だけではないのだと、思いがけず知ることになった。

変わりゆく東京

これはジェーン・スーさんが説明されていることの受け売りだが。
そもそも東京(当時は江戸)は人が住んでいない野原だったところに徳川家康が江戸を任されたことにより繁栄した場所だ。
いってしまえば、東京は元からそこに暮らしがあったわけではなく、外から人が移り住んだことによって暮らしが生まれ、文化が生まれたのだ。常に東京は外から来た人々によって姿を変わり続けてきた街ともいえるのだろう。

昔ながらの東京。そんなノスタルジーもある反面、常に変わり続けるのもまた東京という街の一つの特徴なのかもしれない。
とはいえ、昔から知っていた街並みが跡形もなく変わってしまうのが寂しいしどんどん近代化ばかりしていくのがいいのかと聞かれるとそれも疑問だ。
最近は外苑の木々が開発のために伐採されることが問題視されたりと、以前よりも強く、この変わってゆく東京について考えさせられる機会が増えた。

昔ながらの東京の良さと近代化。両極端なこの二つを、どうにかバランスよく共存させることはできないのだろうか。
それとも、近代化していく東京を受け入れ、変化していくことを楽しむべきなのか。私には正解はまだ分からない。ただ、自分が今見ている東京の姿を数十年後見られなくなるかもしれないことや、親が見ていた東京の記憶がどんどん薄れていってしまうことはなんだか悲しいなと思うのだ。

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