0432_20240801・反AIにおすすめする文学「おじいさんのランプ」

 教科書で読む鬱文学「ごんぎつね」で有名な、新見南吉の童話です。
「人力絵はもう古いって言いたいのかムキー」
 ううん違うよー(ふるふると首を振る)、人間が肉体と共に生きている限り、人力絵は消えないでしょう。

 注目してほしいのはお話の後半、村でランプを売る商売で身を立てた巳之助が、ある時なじみの地域に電燈という新しい明かりが持ち込まれたことを知ってからの反応です。

ランプの、てごわいかたきが出て来たわい、と思った。いぜんには文明開化ということをよく言っていた巳之助だったけれど、電燈がランプよりいちだん進んだ文明開化の利器であるということは分らなかった。りこうな人でも、自分が職を失うかどうかというようなときには、物事の判断が正しくつかなくなることがあるものだ。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/635_14853.html

 電燈によってランプが用済みになることをおそれた巳之助は言動がおかしくなっていきます。
 自分の村に電燈が引かれる話が持ち上がった時には、うしろめたさを覚えながらでたらめな害を言いふらしたり。しかしついに電燈を引くことが決定してしまいます。
 巳之助は、決定会議で議長の役をした区長を怨むことにしました。

巳之助は誰かを怨みたくてたまらなかった。そこで村会で議長の役をした区長さんを怨むことにした。そして区長さんを怨まねばならぬわけをいろいろ考えた。へいぜいは頭のよい人でも、しょうばいを失うかどうかというようなせとぎわでは、正しい判断をうしなうものである。とんでもない怨みを抱くようになるものである。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/635_14853.html
※ふりがな省略

 巳之助ー! お前それは逆怨みがひどいぞ! 区長さんには字を教えてもらった恩もあったやろ!

 そして巳之助は、区長さんの家に放火しようとします。はいそこ、あのいたましい放火事件を連想したとしても胸にしまっといてくれ。

 結果から言うと、放火は失敗……もとい巳之助は思いとどまります。そのきっかけは、マッチが見つからなかったので仕方なく持ち出した不便な火打道具でした。
 気付いたのです。古い道具から新しく便利な道具に変わるのは文明開化であり喜ばしいことだったと。

 そして、正気に戻った(?)巳之助は今までの自分の商売―滅びるべきランプ売り―にけじめを付けます。

 在庫のランプに全部火を灯し
池のそばの木に吊るしてダイナミックイルミネーション
 そこに 投石ガチャーン

 やべえ。21世紀だったら全SNSでバズってた。

画像はイメージです(craiyonで作成)

「やっぱり人力絵は古いっていいたいのかムキー」
 違うって。エピローグパートもちゃんと読んで。

 誰かが持ち去ったかもしれないランプの何個かは、ずっと後の時代にもどこかで愛用されたかもしれないと想像すると楽しいですねウフフ。

 推薦語りってむずかしいね!_(:3 」∠)_

(了)