詩集 虹と鉛管
第1章
淋しい草原
月の砂を食べる
美しい女といふアンニュイ
そのやはらかな質感を確かめる
夜の涙はきつく吸わない
濡れ痛む髪の束ねを解き放ちわれよりほかに誰を抱かん
抱きをれば胸のかたちの痛みゆく雨を呪いしひとのやさしさ
大いなる星座のもとにふたり佇つこんじょうの夜ちきうはひどくめまいする
美しい建築の横顔も
それからは淋しい草原にゐるのだ
ライオンの山
ライオンの山には
黄色い火炎樹と青い一角獣が栖んでいた
ある日戦いの戦士が現われ
草原と砂丘をまっ二つに分割する
草は燃え尽き
砂は一粒まで溶けた
空は千日の間灰色に閉ざされ
乾期は消え
雨期は失われた
季節がめまいを繰り返し
人は嘔吐と下痢に悩まされる
荒れ果てた廃鉱の山に
金剛の石が掘られる
十七の部族の長と
百万の手足を使役し
百億の富を独り占めするため
雷鳴が轟く
村々の少年が狩られて行く
戦争の標的となって
殺戮の兇器となって
人殺しの砂漠をさすらっている
草原を吹く風の音も知らず
砂丘を渡る雲の翳りも知らず
すべてのひかりとひびきを掻き消すように
雷鳴が闇をつん裂く
火炎樹のもとには
静かな人が横たわる
四肢を奪われ
言葉を壊され
絶対の困窮を待ちわびて
静かな人が横たわる
稲妻の角を折られ
一角獣は赫々と血を流し続ける
空を怨み
大地を呪い
いまだ見ぬ海の香りを罵りながら
一角獣は血を流し続ける
老いたライオンは
四千年の歳月を忘れ
不老不死の霊薬に酔い痴れ
昔たずねた美しい湖の夢を見る
美しいたてがみの美しい毛並みをした
誇り高いライオンの夢を
ライオンの山は
華氏百十三度の熱と光で
三日月弧の砂丘になり
黄色の火炎樹は琥珀色の十字架に逆さ吊りにされ
傷ついた一角獣は青黒い月の牢獄にひとり幽閉される
五十カラットの宝石を煌めかせ
見知らぬひとがほほえみかける
聖母のように豊かな腰と乳房をたわませ
眠る男は静かに笑う
眠る女は静かに泣く
笑う百万の聲は分厚い雲の壁を破り
泣く百万の聲は穏やかな光の影を落す
ライオンの山には
黄色い火炎樹と青い一角獣が栖んでいた
ある日弔いの戦士が現われ
琥珀の十字架で棺を設えた
ある日憩いの戦士が現われ
青黒い牢獄に薔薇の窓を拵えた
琥珀の棺は草原の泉となり
薔薇の小窓は砂丘の洞窟となった
ライオンはふたたび狩りを始めた
忘れ去られた海図
落雷に煙る 夜の砂丘
海が目を醒ます
やわらかな寝息をたてて
美しい夜明けの友よ
嵐の夜も夏の気怠い夜の溜息も 濡れた黒髪の朝も
(あなたを愛してゐた)
そうつぶやいてわたしを抱いた
美しい波のわだち
遠い記憶のさざめきを繰り返す
美しい岬も塔台も幻のように消えた
朝靄の静かな海
美しい妹のように眠つている
冷たい雷鳴
美しい季節は終った あのひとはひとり生きて
愛することを忘れたままだ
濡れている髪の匂い抱いて あなたを確かめる
美しい雨音に叩かれて ひとり野をさすらってきたひとりのひとよ
そのことのむくい わたしの心を震わせるひとつの悔悟美しい夜に
激しい雨足を恐れて ひとり部屋に眠っていたのだ
ひとりの男なら ひとりの女愛さずに死ぬこともゆるされると
おろかな雨よ 冷たい雷鳴目を閉ぢて見るあなたの目と目
美しいおもざしのその横顔を 少しも思い出しはしなかった
それらの日々 ひとり野をさまよっていたひとりとひとり
そのことの悲しみ あらゆる讃美は不在をたくましくする
遠く旅するものは 家郷には戻らない
弱い心でなら 愛と言葉にして
愛と口にして 祈ることはしないだろう
美しいひとよ これが別れというものだ(ろうか)
星の間にわたしは眠る
星の間にわたしは眠る 眠るわたしを見つめている
ひとりの星のひとりの砦
見上げれば美しいひとのおもかげだけ 群雲はうつろな眠りうつすだけ
愛しあった夏の記憶 少しだけ憂鬱な少女の気分になったつもり
微熱の続く夜だから 愛をかさねいつしか眠りについている
あなたの小さな肩を抱いている 海のしぐさ似ていない
飾りを解いて 木の下闇埋もれた星の燃え屑若草のいきれして
きらきらと光る目つぶらな輝きの涙ひとつぶだけ 天上の咽喉を潤す
波のぬくもり足元を洗う 夏の夜あなたは銀の魚になり金色の海になる
鳴りやまぬ波のうねりいつまでも轟いて
いつまでもわたしを揺さぶり続ける 黎明を打つ雷鳴のいななき
わたしを錨のように漲らせ あかあかと燃え立つ三柱の火柱聳え立つ
山塊のあたり溶岩漿のしたたり 血の匂いきつく吸うあなたの稲妻しっかり抱いて
飛び散る流星雨 スコール、熱帯雨林海岸性気候あなたはひとりの瀑布を浴びながら
爆発する海嘯を産卵する はてしない生命の旅人よ
星の間にわたしは眠る 静かに瞬いている夏の星座を愛していた
少年の祈りは いつか星のもとに届くのだろうか
眠る星を見つめている
ひとりの夜はひとり静かに傾いていく
下降する悲しみの底辺
木末(こねれ)を渡る小夜(さよ)の風そよぎ 透明な光のゆらぎ
はりつめた光の高なり やさしくひびく波の音いつしかきえて
星の間にわたしは眠る 眠るわたしを見つめている
扉を閉ぢて
夕凪に美しい半月湖を探していた そのひとは帰らない
朝靄のにぶい光の海に包まれて 愛した記憶をなくしていた
さびしい野の一木が逆光に身を攀じる夏の午後だつた
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