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ドラマ劔 その13 韓流の最果てに

 インフルエンザの予防接種も済ませ、冬支度の前に、連日、紅葉を撮りに飛び回る。
 オールドレンズをとっかえひっかえ、最低3本、シネレンズ、準広角、標準、中望遠の組み合わせを考えながら。
 広葉樹の黄変に始まり、カエデ、モミジへと進む秋の展覧会、気忙しい。
 それでも、合間合間に、韓流ドラマを見て、体を休める?
 最近は、ほぼ、Netflixがメインになっているが。

 「愛の不時着」をとうとう見てしまう。キム・ソニョンの堂々たる演技に舌鼓を打つ。
 「ロマンスは別冊付録」イ・ジョンソクとイ・ナヨンのコンビーネーションの良さにすらすらと見てしまう、毎度の1.5倍速ながら。
 だいぶ以前に、ABEMAだったかで「この恋は初めてだから」を見た。ほとんど筋も展開も忘れたが、チョン・ソミンの愛くるしさだけは、しっかりインプットされている。
 見た順序は逆だが、この3作品に、キム・ソニョンが出ていることに気付いた。
 北朝鮮の人民班長、出版社のチーム長、専業主婦と、なんでもござれの、演技力の塊のような女優である。
 彼女が画面にいるだけで、ドラマに軽やかな動きというか、渋い深みというか、淡い陰翳というか、不思議な調味料がはらはらとまぶされて、いい絵になっているのである。得難い俳優である。

 その当の不時着したはずのソン・イェジンが2018年の「よくおごってくれる綺麗なお姉さん」で年上の女(ひと)を演じている。
 三十代のコーヒー会社の社員の設定で、二十代の弟のように可愛がっていた男と久しぶりに再会し、恋に落ちる、
 付き合っていた家柄の良い男は、二股を知られ、彼女から別れを宣告されるが、所有欲が強いというか、変にプライドが高すぎるのか、女に捨てられることにどうにも我慢がならず、その後、何度も彼女につきまとい、別の女性をキープしておきながら、彼女とよりを戻そうと、段々に行動をエスカレートさせていく。
 典型的なストーカーであるが、彼女の両親に気に入られていることを幸い、遂には、職場にまで押しかけ……

 このドラマ、前半はストーカーの壁を乗り越えて、愛を育んでいく美しい物語であるが、そのとんでもない男とやっとのことで別れた後、二人に再び試練が襲い来る。
 毒親、毒母、子どもの人格、人生を支配しようとし、子どもに害毒をなす親、親の「強すぎる自己愛」が原因のようだが、過干渉、ネグレクト、過剰な暴力性などに区分されるとのこと。
 その母親の、娘の恋愛・結婚の相手に対して、人柄よりも家柄、人格よりも家の格を優先させる徹底ぶり、何よりも富と名誉ある地位に対する異様な執着というか、渇望が、ドラマの回を追う毎に、容赦なく発露され、娘とその恋人を危険な隘路に追い込んでいく。
 その執念というか、鬼気迫る怨念のような何が何でもの上昇志向、より貧しい、より弱いと思われる者への差別意識が、この社会の苦しみの根源に根差していることが、母親の落胆や怒りからひしひしと伝わり、エンタメでここまでやって大丈夫なのと、要らぬ心配をしてしまう始末。
 最後の3話ほどは、魘されそうになったが、件の1.5倍速で何とかしのぐ。
 自分が手に入れられなかったもの(富、名声、地位など)を自分の子どもが手にすることを求める、自分が達成した(と思える)ものを子どもにも同じように達成してほしい(一定の地位や特定の職業、嗜好、理想、信仰に至るまで)と激しく願うこと。
 最終話、二人(がともに生きる行く手)にほのかな光が差したようにも見えるが、闇はまだ深い、深いはずだ。
 それにしても、ソウルは雨の街なのか。このドラマでも、傘が重要な役回りを演じている。ジャスパー・グリーンや潤朱の傘、二人の出会いと別れを暗示しているのだろうか。
 「雨でも見ようか、雨が素敵ですね」が、愛の言葉なら、完全納得だが。
 年間降水量とか降水日数を東京と比較して見たが、実際のところは、そこに住んでみないことにはよく分からない。数字では、その土地の雨は、体感できないのである。

 マザーチャイルドボンデイング、完全な親子のつながりなど探し求めても、そんなものなどどこにもない。徒労、無駄足に終わるしかあるまい。
 完璧な子育て、完全なる親、完成された、順風満帆の(うまくすれば無難で、なおかつ、ドラマチックな)人生が、絶対に存在しない以上。
 親が子に(必要以上に)期待し過ぎる(まったくと言っていいほど子どもに期待しない、あるいは、子どもが自らの生きていくことに何ほどかの期待を持つことを妨げてしまう)のは、歪んだ自己愛、他人を支配しようとする醜い欲望、自己の利益の最大化を追求した、その成れの果てでしかない。
 子どもの人格、人生を抑圧し、破壊して、得られる利益は、いかほどのもので、その代償を果たして誰がいかほど支払うのか。
 誰も口を拭って、問いには答えてはくれない。

 気前がいいのは案外自己愛(自己防衛を最優先する性向)の裏返しなのかもしれない。あまりおごり過ぎて、すってんてんになっては、莫迦を見るのは自分なのだし、くれぐれもご自愛のほどを。
 いずれにしても、他人事、他所(他国)事とは思えぬ話ばかり。
 見終わっての感想、心にひびく、いいドラマだった。

 蛇足ながら、歴代世子嬪・王妃ランキング、これがわたしの目下の懸案事項である。
 トップ10入りの候補は、「百日の朗君様」の世子嬪 ハン・ソヒ、「トンイ」の悲劇の王妃 パク・ハソン、「恋慕」の世子 パク・ウンビンくらいしか今のところ思い浮かばない。

「新米史官ク・ヘリョン」の芸文館史官 シン・セギョン、キャリア・ウーマンの先駆け、政治権力が歴史を都合のいいようにでっち上げてきたことを、歴史をどう認識し、事実をどのように再解釈するかはその人のこれからの生き方に大きく関わることをドラマは示そうとしていたが、最後の詰めが若干甘かった印象だ。
 すべてを記録し、後世に伝えることに意味があるのではなく、権力者がひたすら隠そうとすることを記録に残し、将来に備えることが使命であろうから。
 公文書の改ざん、廃棄が横行するこの国で、歴史的文書(すべての文書はその歴史的性格を失うことはない)はいかにしてその精度と強度、命脈を保つのか、甚だ心許なく、心細い。


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