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レンズ談義 その1 キング オブ レンズ=テッサー:ツァイスの悲劇

 レンジファインダーの場合はともかくとして、一眼レフになって、レンズは、そこを通して世界を見つめる、そこからしか見えない世界に通じようとする、そこに、その空間(場の地平、ひろがり或いは縮約され、限定された特定のつらなりの平面)に、その瞬間(とき)にのみ現れる、存在する、唯一のもの、その生きている場の空気、その密度、質感、軽み、重さ、光と影、その揺らぎ、闇の生態を写し込もうとする、何かしら神意を伺う気配のするものとなった。
 クラッシック・レンズとは、冷戦終結以前に作られたレンズで、手動で測距と絞り(の開閉)を行う機構のもの、これがわたしの考える定義である。

 カメラ界は、嘗て、魑魅魍魎の跋扈する異界であった。
 このおどろおどろしい世界に君臨したのが、ライカとコンタックスの二大巨頭である。
 バルナック型ライカの先陣を飾ったレンズ エルマー(Elmar 5cm f3.5 Lマウント、レンズ構成はテッサー・タイプだが、絞り羽根の位置が異なる、1925年)は、36年もの長い間製造されたことから、幾つものバリエーションがあり、それぞれがその個性、微妙な味わいを醸し出している。
 その後、Summar 5cm f2(1933年)、Summitar 5cm f2(1939年)、驚異的な切れ味と解像力を誇るSummicron 50mm f2(1953年、LマウントからMマウントへの移行期、沈胴型、その後、固定鏡胴型に)と立て続けに標準レンズの名品、逸品を製造し続けた。
 わたしが使ったことのあるライカのレンズは、Summaron 3.5cm f3.5(1946年、Lマウント)だけだが、写りも柔らかく優しい描写の中に一本芯が通っている、そんな印象を受けた。レンズ自体、ドイツの工業力の粋を集めた精緻かつ精巧なもので、手に取るだけで信頼感のようなものが芽生えてくる。
 このズマロンで満開の染井吉野を撮ったが、桜花の嫋やかさをこれほど精密に、忠実に再現するものかと驚いたことがある。

 「sum」という接頭辞?には、至高の、頂上の、といった意味合いがあるようだ。インド・ヨーロッパ語族に属するサンスクリット語でも、同様と思われる。梵語は、仏教典とともに日本にも広まった。
 日本語にある、統べる、スメラミコト、須弥山、これらにもその語感が確実に残されている、と思う。

 ライカとコンタックス(ツァイス・イコン)、どちらに軍配を上げるかは問題ではない。
 わたしは、ツァイスのレンズに魅了された口だが、決してライカを侮っていたわけではない。ただ、ライカのカメラ、レンズは、あまりに高価過ぎる。骨董の名品を恭しく使わせていただく、という感じか。それが嫌で、妙に鼻に付いて、避けてきた、それだけのことだ。
 良し悪しの問題ではない。

 Carl Zeiss の悲劇は、第二次世界大戦後の東西分断、冷戦構造により惹き起こされたものだ。
 ドイツ分割後、東のイエナで作られたレンズ(Flektogon、Biotar、Tessar ……)は、ツァイスの正統な継承者が誰であるかを如実に示していた。
 レンズの聖地は、イエナにある。

 Tessarは、ツァイス大躍進の起点となった画期的な名レンズ、3群4枚構成、当時、一大ブームを巻き起こしていた Cooke の Triplet(3枚構成のレンズ)に対抗すべく、1902年、天才 Paul Rudlph によって完成された。
 Hexar 75mm、Ektar 44mm、Color Skopar 50mm など、テッサー・タイプ(1920年、特許切れにより他社でも製造ができるようになった)の名玉は、枚挙に暇がない。

 冒頭の画像は、Tessar 50mm f2.8 Carl Zeiss Jena(1958年~、アルミ合金製、グッタペルカ巻、モノコーティング、絞り羽根6枚、最短撮影距離0.5m)で撮影したものです。
 濃密な描写で、切れ味も鋭く、しかも、柔らかさを隠し持っている、まさに、King of Lenses の名に恥じない偉大なレンズです。
 エクステンションチューブを着けての接写では、噂どおりの「鷲の目 eagle eye」を実感しました。ピント合わせが、なぜだか楽にできます。
 なお、テッサーを「鷹(たか)の目」と言う人も、最近では多いようです。
 ホークではなく、イーグルですので、本来、鷲(わし)なのですが、どうやら「鵜の目鷹の目」とか「魚の目、鷹の爪」などの語感の影響を受けているものと思われます。
 同じく猛禽類であることに違いはないので、ここは、大目に見ておきましょう。それが乙名の(乙な)対応というものでしょうから。






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