大人の余裕でリミッターを外す
2週間前の土曜日、私はギターを購入した。
演奏どころかギターに触れたことすらなく、何が良くて何が悪いのかも分からないまま、とりあえずネットでポチっとした。
子どもの頃から歌うことが好きで、歌手になりたいと思ったこともあるほど音楽が好きだった。
小学生の頃、両親にピアノを習いたいとお願いした。その時は却下されてしまったが、音楽をやりたい衝動はその後も事あるごとに顔を出し、高校に入学してすぐに軽音楽部に見学に行ったりもした。ギラギラした青春真っ只中の先輩達に圧倒されて入部を諦め、結局どの部活にも所属することなく高校時代は終わった。
文化祭の舞台でたくさんの同級生達から羨望の眼差しを浴びるという憧れは、今YouTubeの「文化祭 歌うま」で成仏しようとしている。
大学でも音楽への興味は尽きず、友達にギターを始めたいと相談したこともあったが、難しいと分かり手を付けることはなかった。
そうして何度も浮かんでは消えた音楽への興味が、今また復活したのだ。
きっかけは引っ越しだった。
マンションの更新が近づき、そろそろ引っ越そうかと物件探しを始めた。
けれど、基本インドアな私は部屋へのこだわりが異常に強く、とにかく条件がたくさんある。
駅徒歩5分、南向き、築浅、オートロック、宅配ボックスは当たり前。浴室乾燥に温水便座、コンセントの個数や高さ、アンテナ端子の位置まで言い出せばきりがない。どうせ引っ越すなら今よりも広い部屋を…とも考えてしまう。
やはり何件か内見しても納得のいく部屋は見つからなかった。あと2年今の部屋に住むか、妥協して引っ越してみるか悩んでいる時、女優の石田ゆり子さんがアナザースカイで訪れたパリで言っていた「お金を経験に換えていきたい」という言葉を思い出した。
今より少し贅沢な生活をするか、経験に換えるか、これからの2年間を想像してよりワクワクするのはどちらか。私は新しい部屋の家賃として考えていた予算と、今の家賃との差分で経験を買うことにした。
ではどんな経験をしよう。
そこで思いついたのが音楽だった。
昔から興味があったピアノ、高校時代に憧れたギター、夢のまた夢だったバイオリンが候補に上がった。
(ここにきて突然バイオリンが登場しているのは、完全にドラマの影響だ。)
早速音楽教室を探しながら、それぞれの楽器の難しさや習得までにかかる時間などを調べた。
ネットには大量に情報が溢れていて、初心者には何が正しいか判断することは難しかったが、唯一バイオリンは独学では習得できないということは納得できた。
せっかく月謝を払って習うのなら、一番難しそうな楽器に挑戦してみよう、という食べ放題で元を取ろうみたいな感覚でバイオリンの体験に申し込んだ。
日程を決める段階になって、予定の合う日が1ヶ月以上先だと分かった。バイオリン教室は今とても人気らしく、どうやっても早めることができなかったので、とりあえず8月後半に体験入学を申し込んだのだが、一度スイッチが入った私のやる気は1ヶ月も待てなかった。
その日の夜、私はギターをポチっていた。
もちろんバイオリンを諦めたのではない。
どちらもやってみればいいじゃないか。1つにしなければいけないなんてルールは無い。いつだって私のルールは私が決める。そんな強い気持ちでポチっとしたのは人生で初めてだ。
数日後にはギターが届いて、YouTubeやネットを見ながら練習を開始して1週間と少し。毎日仕事の合間に弾き続けて、何となくジャーンと音を出しながら歌えるようになってきた。
とても楽しい。大満足だ。これはセンスあるのでは?と自画自賛までしてしまう。
自粛でカラオケがやっていなくても無料で歌い放題だ。しかもカッコいい。
とは言え、まだ簡単な曲で簡単なコードしか使えないし、度々止まっては弦を押さえる手を確認するので、まだまだ練習が必要だけどこれなら何時間でもやっていられる。
こんなに楽しいならもっと早く始めればよかった…と思ってしまうが、きっと大人になったからこそ楽しめているのだろう。
思い立った瞬間に動きだせる行動力は大人の特権だ。
数年前に大人になったばかりの私にはあと60年ほど大人の時間が残っている。伸びしろは十分だ。
私は今とても自信に満ち溢れている。趣味とはいえ、全く経験の無いことを自分の力でできるようになってきたから。バイオリンもギターも同時に始めるなんて、どちらか1つにするべきだと思われるだろう。大人になってから始めるのは遅いと聞いたこともある。けど、普通とか一般常識とか、日頃から何となく行動を制限しているものを無視してみたら、今よりもっとワクワクできる気がする。
音楽の他にも気づかないうちに限界を決めているものが無いか考えてみよう。これからの大人時代を、これまでの子供時代よりもっとワクワクするために。
とりあえずしばらくは、ギターの弾き語りを特訓してみる。そうしているうちに、誰かに聞いてもらいたくなってYouTubeに投稿し始めるかもしれないし、友達とバンドを組むかもしれない。
60年後の私は相当人生を謳歌していそうだ。