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いつか和梨に戻る日が

突然だが私のなかで果物の王様は和梨だ。
晩夏〜秋になると店頭に和梨が並び、今年もあの瑞々しい果肉を味わえるかと思うと密かにテンションが上がる。

ちなみに、姿かたちのよくにりんごはどうか。
りんご王国で育った私はここ福岡のスーパーでりんごを見ても、正直全くテンションが上がらない。そもそも食べ飽きてるというのもあるが、値段が高い。青森ならりんごはもらうもの、まれに買うとしても1個あたり50〜100円程度だ。最近の物価高も加わり、近所のスーパーで見かけるりんごは1個200〜250円ほどで売っている。そして味は地元で食べるより劣るのが相場だ。まあ、これはりんごに限った話ではないけれど。もし梨王国で育っていたら、梨にも同じ感情を抱くのだろうか?
ともかく、私はいろんな理由でりんごでもバナナでもキウイでもなく和梨が大好きなのだ。

ところがここにきて、和梨に手が伸びなくなっている。値段もさることながら、その一番の理由は包丁とまな板を使って洗うのが面倒だからである。
社会復帰してからというもの、とにかく時間がない。子ども達と過ごす時間は平日ならば1日あたり4時間程度しかない。その中で、食事の支度、皿洗い、洗濯関係、小学生2人の宿題の丸付け、保育園の準備、1才のあらゆる世話などをやっているうちに入浴時間になり、その後は1才の寝かしつけとなる。朝も戦場だが、夜も夜で戦場だ。朝にやり残したことがあった場合ドドーッと押し寄せることもある。子どもたちの就寝時間は決まっているため、そこ目がけて突っ走る。

そんな戦場で、悠長に梨をむいて切る余裕はない。果物好きな長男に梨を出せば大いに喜んでくれることは知っているが、最近は秋ならぶどう、冬ならみかんばかり与えている状況だ。つまり子どもが皮ごと食べられるものか自分で皮をむけるものばかりになるのである。ちなみに夏になるとメロンやスイカをよく食べる。メロンやスイカは時間のある週末にカットし、いつでも食べられるよう保存しておけるからだ。いずれも平日の慌ただしいときに包丁・まな板を出してやっていられない。そういった意味で、冒頭でシラけていたりんごは皮ごと食べても抵抗がないので選びやすいかもしれない。
だから近年大人気のシャインマスカットは高級だが、非常にありがたい存在でもある。洗ってヒョイと口に入れるだけで得られる幸福感が大きい。包丁もまな板も出番はない。ひょっとすると梨を抜いて私のフルーツの王様はシャインマスカットなのかもしれない。気軽に買えない点を除けば。

子どもが小さいうちは自分の好きなものを諦める瞬間がいくつもある。本当は辛いものを食べたいけど、一緒に食べられるうどんを選ぶ。本当はお洒落な服を着たいけど、すぐ汚されるから洗濯しても強いものを選ぶ。同様に、本当は梨を買いたいけれど、梨に割く時間的・体力的・精神的リソースがないからバナナやみかんにする。

数年後、末っ子に手が掛からなくなったら私はまた梨を手に取るだろうか。その頃には地球が沸騰して和梨という存在が日本から消えている可能性もなくはない。梨を美味しいと言って食べてくれる子どももどうなっているかわからない。思春期になったり、嗜好が変化したり、健康状態だって明日はどうなるか誰にもわからない。そう考えると週末くらい和梨をむいてもいいような気がしてきた。慌ただしいのは事実だが、今しか得られない喜びがそこに必ずある。

時期的に、和梨はもう売っていないかもしれない。とりあえず今日、スーパーに行ってみよう。



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