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甲状腺乳頭癌を20代で摘出した話

離島に住む双子の母、レモンソルターです。

突然ですが、
実は私は20代で甲状腺乳頭がかなり膨れた状態でみつかり、摘出しています。

あれから10年経ち、今は他の同年代と同じように、
もしくはそれ以上に元気にタフに過ごしています。

同じ病気で手術を目の前にして不安になっている方がきっといらっしゃると思うので、私の正直な体験談を綴ろうと思います。

甲状腺の機能

甲状腺は、いわゆる「のどぼとけ(甲状軟骨)」のすぐ下の気管の前にあり、気管を取り囲むように位置しています。
重さ10〜20g程度の小さな臓器です。
羽を広げたチョウのような形で、右葉(うよう)および左葉(さよう)、中央の峡部(きょうぶ)からなります。
甲状腺の裏側には、声を出すために大切な「反回神経」があります。

甲状腺は、ヨードを取り込んで甲状腺ホルモン(トリヨードサイロニン[T3]、サイロキシン[T4])をつくり、蓄え、分泌しています。
甲状腺ホルモンは、基礎代謝の亢進(こうしん)、脳や骨の成長、脂質や糖の代謝を促します。
このほかに、血液中のカルシウム濃度の調節に関わるカルシトニンというホルモンも分泌しています。

(国立がん研究センターホームページより)

甲状腺乳頭がんとは

乳頭がんは、甲状腺がんの中で最も多く、約90%がこの種類のがんです。
リンパ節への転移(リンパ行性転移)が多くみられますが、極めてゆっくり進行し、予後(治療後の経過)がよいとされており、生命に関わることはまれです。
しかし、ごく一部の乳頭がんは再発を繰り返したり、悪性度の高い未分化がんに変わったりすることがあります。
高齢で発症するほど悪性度が高くなりやすいとされています。乳頭がんは、次の濾胞がんとともに高分化がんと言います。

(国立がん研究センターホームページより)

甲状腺乳頭癌がみつかるまでの経緯

高校生の頃、風邪をひいて近くの個人医院の内科を受診したときに
先生に「喉が腫れてるね」と言われたのが最初でした。
たぶん甲状腺の病気を疑ってのことだったと思いますが、採血をして検査しました。

結果は何もなし。

それから約10年ほど経ったある日。

母が、私の喉をみて
「大きくなってない!?」
と言いました。

(実際の写真。左側が肥大しています。)

そんなことは軽視をしていた私でしたが、
母が「検査して!」と強く言ったのをきっかけに受診しました。

次は地元ではいちばん大きな大学病院に行きました。
以前と同じように採血しましたが、

やはり結果は何もなし。

しかし先生は「腫れ方がおかしい」とのことで、細胞抽出の検査をすることにしました。

喉の腫れた部分に注射をして甲状腺の細胞を採り、
それを検査します。

後日、検査結果を聞きに行った日。
先生から衝撃の事実を聞くことになりました。

「甲状腺の乳頭癌がみつかりました。
ステージ4
(確か)で、早急に手術が必要です。
さらにリンパ節への転移の可能性があります。」

このとき28歳。
まさかこの年で癌になるとは!

知識が浅かったので、
癌に対するイメージもよくなかったですし、
健康や死に対することも考えました。

原因についてはわかりません。
家系で甲状腺の病気になった人はいませんので、遺伝ではなさそうです。
高校のときには既に腫れていたので、恐らく小さいころからずっとあったのかもしれません。

結果を聞いてから手術日まで4ヶ月

衝撃の結果を聞いたものの、そんなにすぐに手術ができる状態ではありませんでした。
私は演奏と音楽教室の仕事をしていたので、数ヶ月先までの本番やレッスンが決まっていました。
急に代打を立てるのは簡単なことではありません。

「幸い、進行の遅い癌なので、数ヶ月後でもいいですよ。」

結局、癌がみつかってから4ヶ月ほど経ってから手術をすることになりました。

この頃、日々の生活をいつもどおりに過ごすありがたさを痛感していました。

手術

手術の内容は、

全身麻酔をして喉を切り、
甲状腺の4分の3を切り取る亜全摘手術、
副甲状腺を取ってそれを腕に注射をして細胞を生かす、
そして周りにみつかったリンパ節への転移も可能な限りすべて取り除く、

というものでした。

なんだかすごい!

どんな内容でも、先生を信頼する他ありません。

私は入院中に何を考えていたか。 

手術の前後の記録をカメラにしっかりおさめようとしていました!
楽しみがないとつまらないですからね。

手術後も写真を撮るように、母にお願いをしました。
母は心配をしているのに、驚いていました。(笑)

朝早くの手術でした。
9:00ぐらいだったのではないかと思います。
麻酔の注射をされて身体がふわっとしてから、まったく記憶がありません。
手術後に酷く吐き気を感じて目が覚めたのが17:00頃?
一度起きてまたそのまま朝まで眠りました。
手術は7~8時間かかっていたようです。

術後

翌朝、目が覚めたら

首はテープだらけ、傷口が疼く。
首から2本の管が出て、腕には注射。
そして異様な痺れ。
手の指は反り返り、声は出ない。

いろんな反応がありました。

食べ物を飲み込むこともできず、朝ごはんに出てきたゼリーを舌で潰して飲むのがやっと。

前日とは別人です。

とにかく1日がしんどい。
悪かったはずのひとつの臓器なくなるだけでこんなにも身体が拒否反応するのかというほどでした。

退院できるまで手術後から一週間でした。

退院したらもっと元気なのだと思ってました。
しかし、倦怠感や痺れはなかなか抜けず、口内炎もひどくたくさんでき、
首の傷をかばうせいか、肩こりも酷くなりました。
だんだん良くなるものの、数年間はこの症状に付き合うことになりました。

病室での出会い

入院していた部屋は女性四人部屋。

私以外は全員、乳癌の人でした。
手術日もほぼ同じ。
まるで戦友のような関係になりました。

・部分摘出で抗がん剤治療のAさん(当時30代?)
・全摘出のBさん(50代)
・部分摘出のCさん(70代)
・後日入れ違いで入院したDさん(20代)

世代は違うけど、辛くても毎日を楽しく過ごせたのはこの方々のおかげです。
退院しても経過報告や癌の情報交換、近況を話せる大切な仲間ができました。

一部の方はつながっていますが、
最近連絡していないことに気づいたので、これを機にまた連絡してみたいと思います。

ヨードの規制

甲状腺の病気の場合、海草に多く含まれると言われる「ヨード」の成分を過剰摂取するのはよくありません。
海苔、昆布、ワカメ、ひじき…大好物ばかりです。

うがい薬の「イソジン」もヨードが多いので試用しないように言われました。

術後1ヶ月

無謀にもいろんな予定を詰め過ぎました。

こんなに体力が落ちると思っていなかったので、
手術前から遠方の仕事を入れていました。

とにかく疲れやすいです。
楽器の演奏も思うように上手くいきませんでした。
術後を甘くみないことをお勧めします。
1ヶ月も経てば様子もわかり、無理をしなくなってきました。

そして手術と関係あるかわかりませんが、
物忘れが激しかったように思います。

もともと私はうっかりなタイプでもありますが、
それ以上に物を置き忘れたり、集中力が途切れやすかったように思います。

他の癌治療の人もそういう話をしていましたので、関係あるかもしれません。

この時期に大事な用事は入れない方が良さそうです。

服用した薬

入院中の薬はちゃんと覚えていませんが、
退院してからはチラーヂンカルシウム剤を飲んでいました。
しばらく経ってから、カルシウム値が安定してきたのを見計らって、カルシウム剤はやめました。

チラーヂンは永久に飲み続けるそうです。

3ヶ月分をまとめて処方してもらえるので、
特別な検査がなければ、健康保険適用の3割負担で1600円ぐらいでした。

安いような気もしますが、死ぬまで飲み続けるとすると
それなりにお金もかかります。

術後変わったこと

手術前の体調の悩みといえば

・28なのにニキビがおさまらないこと
・衣服につく体臭が自分でわかるぐらいにおうこと
・生理痛

これが手術してから、スッキリなくなりました。

もちろん生活習慣を変えたのも理由のひとつだと思います。
食事の質の見直し(できるだけ無添加を目指す)や
布ナプキンの使用などです。

それも手術がきっかけであることには変わりません。
同じような病気の方で、気になる症状があれば、
それは身体の不純物を排出しようとしているのかもしれません。

手術をきっかけに、健康生活になるといいですね。

術後10年経った今

とても元気に、健康な双子を産むことができました。
体力も普通です。

海草がおいしい土地なので、普通に適量を食べます。
なんの我慢もないのでストレスがありません。

地のもの、酵素を含むもの、善玉菌など
腸にいい働きを与えるものを積極的に食べています。
雑菌も強く生きる上で必要だと思っています。
子どもたちにはある程度、雑菌を舐めさせます。
コロナウイルスの騒がれる世の中ですが、アルコール消毒のしすぎも心配です。

島に移住してから、かかりつけ病院に街まで行くことが億劫になり、実はチラーヂンも離れています。
(※本当は担当医と相談しなくてはなりません)

チラーヂンをやめて数ヶ月のときに、倦怠感で痺れたことが一度だけありました。
そのときに一度だけ服用しましたが、その後は2年間、なんの不調もなく元気に過ごしています。

身体が変化してくれたのがわかります。

たまに検査をして経過観察はするつもりです。

人生の分岐点

このできごとは私の人生の分岐点となりました。

演奏は思うようにうまくいかなくなったものの、
レッスンを増やすことになり、仕事は安定しました。
しかし、移住を考えるきっかけにもなっています。

すべてが今の私の原点です。

これから手術を迎える方にとっても、人生の分岐点になるかもしれません。

失うものがあったとしても、何かにつながるので失望しないでいただきたいなと願います。

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レモンソルター(離島に住む双子の母)
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