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私がハンドメイドを作り続けたい理由。

手作りのアクセサリーを作った。ハンドメイドだ。出来栄えは手作り感満載。けれども、それが愛くるしいと作った本人は思う。

作るのは、正直に言うと割と簡単に作れてしまう。だが、そのアイデアとモチベーションが湧いてくるのには、かなりの時間が要した。

それは、友達に作ってと言われたから、とか、机で考えたらパッとアイデアが浮かんでメモしたとか、その2つくらいの理由だけれど、その根底には、作る本人である私の「人の役に立ちたい」という気持ちと、外国の映画や音楽からヒントを得た、自分なりの“かっこいい”を表現したいという、突き上げるような気持ちがある。なんてかっこいいことを言ったけど、表現するのはハンドメイドでなくても自分はいいのかも知れない。

私は、自分のやりたいことが定まっていない。でも、楽しいからハンドメイドをやる。それも、気が向いた時に。でも、今はそれもいいのではないかと思っている。

アイデアが浮かんだ時、知人に求められて、「やるぞ」という気持ちになった時、視界が開ける。くよくよしていた気持ちも、忘れてものづくりに励む。それも、ものすごい速さで作ってしまう。集中力も半端じゃない。それも私の頭の特性なのかもと思っている。変な話、エッチなことを考えているよりも健全で、建設的で、キレイな気持ちよさ。

作品(と私は呼んでいる)が出来上がった時、最近は少し残念な気持ちになった時が2回あった。それは、自分の中にある、良くないノイズが邪魔をしているからだと私は思う。

うまく行かないと思うと、人はたぶん、うまく行かない。だから私は、自分が納得のいく作品が作れなかった。しかし、これは持論だが、失敗ではない。アートに失敗はないと、私は思う。

そのノイズの正体は、私が最近、親から言われた言葉だと思う。

「アクセサリーなんて、買えばいいじゃん。なんでわざわざ作るの」

親なのになぜそんなことを言うのかはさておき、世の中にはきっと、私の親のようにハンドメイドにあまり価値を見出さない人も、たくさんいるのだろう。

でも、私はハンドメイド作品を作り続けたい。私らしさの宿るハンドメイドは、私の見失いがちな、自分自身の価値をその作品に見るからだ。

私のように親や同級生から、自分の大事にしているものの価値を理解されなかった人もいる。でも私は、これを書いていて、むしろ有難うだよと言いたい。そう心から思えたら、私は、他のたくさんの人たちは、また一つ、大きな自由を手に入れると思う。

それはすごろくでいう、0地点ではなく、やっとみんなと同じスタートを切れるという話でもなく、0でも100でもない。自分のカラーを手に入れるということだから。

ハンドメイドに限らず、自分の価値を見出すことを続けるといい。休み休み。

私がハンドメイドを作り続ける理由。それは、ハンドメイド以外のところでも、たくさんの人と接する中で、私の幸せな気持ちを分け合いたいという気持ちである。


写真* 友達に、黒ベースのイヤリングが欲しいと言われ、やる気になって、材料を買い足して作った作品です( ꈍᴗꈍ)

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