娘が生まれた
2017年7月15日9時22分、東京、四谷三丁目の病院で、2220グラムの小さい身体で娘は産まれた。澄んだ青空が広がっていて、気持ちいい日だった。
産まれる前日の夜は金曜日で、土日休みのサラリーマンの僕は、翌日が休みだということもあり、遅くまで飲みに行っていた。そのため帰ってきたのが夜の12時過ぎだった。部屋は暗くて妻はベッドの中。僕は気楽に風呂に入るか、もう寝るのか考えていた。その時妻が「お腹痛いかも」と急に言い出した。陣痛だと思って病院に行っても、それでなければ追い返されると聞いていて、正直なところ半信半疑だった。でも、一応病院に行くことにした。一人では心配なので僕も一緒だ。
夜中1時、自宅のある方南町からタクシーに乗る。病院のある四谷三丁目に行くために、方南通りを新宿方面へまっすぐ突き進み、都庁や歌舞伎町も通り過ぎる。街は夜だ。いつも見てる風景とは少し違う。なんだかすごく不安だし、妻はもっと不安そうだった。「お腹がどんどん痛くなってる」と小声で言われ、2、30分のタクシーがこんなにも長いものかと思った。まだこの時は産まれるわけがないと思ってはいたが、今思えば期待もしていたんだろう。
病院に着くと、先生はおらず夜勤担当の看護師さんが対応してくれた。「陣痛です。出産はまだですが、もしかしたら1日くらいで産まれるかもしれないです」と言われた。えー。どうしよう。すごく驚いて心臓がバクバクした。心の準備はできていなかった。
とはいえどうせまだ産まれないらしいから、昼過ぎくらいに病院に戻ることにして、一度タクシーで家に帰ることにしようと思った。冷静にはしていたが、びびっていた。駅前の交差点からタクシーを拾い、一人で乗り込む。酒で酔った意識といい、真夏の生ぬるい空気といい、ドッキリみたいな展開といい、夢を見ているみたいだった。さすがに疲れていて、タクシーの車内でぐったりしてしまった。
家に帰る。病院に行ったのは短い時間なのに、何日も帰っていない家に帰るみたいで奇妙な気持ちだった。落ち着かない我が家で寝転ぶ。気がつくと3、4時間は経っていた。とりあえず寝たみたいだ。まだまだ眠いし、約束の時間よりだいぶ早い時間だったが、いてもたってもいられなくなり、タクシーでまた病院に向かった。朝の8時台だったと思う。もうカウントダウンが始まったのは分かっていたが、そんなにすぐ鐘が鳴るとは知る由もなかった。
病院に着くと、病室のベッドでうめき苦しむ妻の姿。痛そうだ。大丈夫なのか。すぐに慌てて先生と助産師さんが登場。妻は、奥の分娩室に連れて行かれてしまった。病室でぽつんと一人になる僕。すごく不安になる。1、2分経ったくらいで、助産師さんが「産みます。お父さん、カメラなどあったら持ってきてください」。マジか。まだまだ時間かかるて言うてたやん。慌てる僕。こんな時に限ってビデオカメラのバッテリーがない、デジカメは焦って使いこなせないなどで、結局スマホのカメラで産まれたての娘を撮ることにした。
分娩室に入ると、妻は分娩台に寝かされていた。妻は出産のときの呼吸をしていた。もう産まれるのかと改めて実感する。僕のいるあたりからは見えなかったが、娘の頭がもう出てきているみたいだった。助産師さんが「お母さん頑張って」と励ましている。妻が死に物狂いで頑張っている。たぶん娘も頑張っていたと思う。分娩室にいる人間の心が一つになっている。スポーツの試合だ。まさにオリンピックのようだった。スマホのカメラは構えてるが、父の僕は案外何もできない。ただすごく冷静だったので、この光景を目に焼き付けようと思い凝視していた。
どれくらいの攻防戦なのかは分からないが、1時間くらいは戦っていたと思う。でももう少しのところで出てこないみたいだ。先生は、娘が出てきやすいように何かしている。僕のいる場所からは何も見えない。一度小休止があったあと、仕切り直してまた試合が始まった。分娩室が出産でまたもや一つになる。最高潮に達して、もう息切れか、もう無理かと思った。そのとき、ごそっと何かが取り出されるのがこちらからも見えた。「産まれました」と先生が小さい体を抱っこしている。うおー。産まれた。体には羊水の中のものが沢山付いていて、すごい姿。少しして「フンギャー!」と、声が響いた。
自分は感動して泣くかと思ったが、昨日の夜からあまりにバタバタしていたので呆気にとられていた。ただこの瞬間の景色を記録したかったので、すごく焦ってスマホで写真を撮りまくった。(あとで見ると案の定ブレまくっていたが)。娘は産まれてすぐ体重を計られたりしていた。
「お父さん、こっちでへその緒を切ってください」。助産師さんに言われ、ハサミでへその緒を切る。少し父らしいことができたなと思った。嬉しかったが実感がまだこのときはなかった。ただただひどく疲れていた。ちなみに娘を抱っこしながら号泣したのは翌日だ。僕は父になった。
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