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遊んで楽しいパチンコ玉
パチンコ玉がジャラジャラ。と言ったら、大抵の人は、パチンコ屋で当たりが出ている状況を思い描くはずだ。実体験として、もしくは想像の体験として。
悲しいかな私の浅いパチンコ屋経験では、ジャラジャラというほどパチンコ玉が出たことは無いのだけど、私は「パチンコ玉がジャラジャラ」という状況を身をもって知っている。
多分幼稚園生かそれよりも小さい頃の私の、8センチCDみたいにちっちゃな手が、楕円形の縦長の缶からつやつやぴかぴかのパチンコ玉達をすくいあげる。缶をフローリングの床に倒すと、ジャラジャラとパチンコ玉が転がっていく。
(8センチCDってこれのことです。)
缶いっぱいのパチンコ玉は祖父がくれた。「じーたん」は日課の散歩の途中、パチンコ台を壊している工場から転がってくるパチンコ玉を拾って家に持ち帰り、それを毎日毎日繰り返して、楕円形の缶、あれは何の缶だったのだろう?とにかく、缶いっぱいにパチンコ玉を貯めて私にプレゼントしてくれたのだ。
私はリカちゃん人形もシルバニアファミリーもマドレーヌ人形も大好きだったけれど、じーたんのくれた何十粒ものパチンコ玉をジャラジャラと転がすのも好きだった。大抵はきらきらぴかぴかのパチンコ玉だったけれど、たまに黒い塗装がついていたり、潰れてうまく転がっていかない玉もあったと記憶している。沢山あるパチンコ玉のひとつがソファの下に転がっていってしまった時は大騒ぎして大人達にソファを動かさせたことも、あったような気がする。
パチンコ玉の本来の使い方なんて知らなかったけれど、手が鉄臭くなるのも気にならないくらい、幼稚園生までの私は銀色のぴかぴかの玉を手のひらいっぱいに掴んだり、肘の内側に乗っけたり、床にいっぱい転がして遊ぶのが好きだった。
あのパチンコ玉はどこへ行ってしまったのだろう。東京へ引っ越した際は、まだ持っていたような気がする。マンションの和室で、木製のレールを繋げてパチンコ玉を転がしていたのを覚えている。
けれど気づけば缶いっぱいのパチンコ玉はもうあとかたも無くて、一粒すら残っていなくて、どこで、いつ無くしたのか、捨てたのか思い出せないのだ。じーたんはあの時なんと言って私にパチンコ玉をくれたのだろうか。パチンコをしない人だった。じーたんにとってパチンコ玉は、子供の私が、きらきら光る銀色の玉を喜ぶだろうという意味しか持たなかったのだとしたら、なんだかとってもいとおしい。「ひとみ、いいもんやるぞ」と言ってずしりと重たい缶を床に置くじーたんの姿は、思い出だろうか、想像だろうか。
パチンコ玉がジャラジャラ、はあたたかくて、幸福で、ちょっとだけさびしい。