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私と彼女の物語 第1回

 私には、母の胎内にいた記憶がある。
母に、そのことを言うと「嫌だ、本当?信じられない。変な子ね」と言ったが、私は子供の頃、悲しい時、辛い時、ベッドにもぐりこんで、その母の胎内の感覚を五感全部で、再現させた。そうすると、温かく、ほのかにオレンジ色に光る中で、母の心臓の音がゴボッゴボッと聞こえて、「あぁ、ここは安全。大丈夫」と思えた。母の優しい匂いすらしたものだ。

 夜中に目が覚めて、リビングから夫婦喧嘩の怖い音が聞こえても、ベッドの中で、あの感覚を呼び戻して、「怖くない、大丈夫、大丈夫」と言えば、いつの間にか、また眠りに戻ることが出来た。
 妹と喧嘩をして、怒られて涙が止まらなくても、学校でいじめられて、学校に行くのが怖くなった時も、自転車で転んで腕を骨折したのを親に言い出せずに、痛みをこらえて一晩過ごしたときも、あの感覚が私を助けてくれた。当たり前だが、次の日、腕がとても痛いので病院に連れて行って欲しいと親に言った時には、「痛いなら、痛いって言いなさい!ものには限度ってものがあるでしょ!」と、またひどく怒られてしまったが。
 
 私の両親の夫婦仲は良い訳ではなかったけれども、二人とも子供に対する愛情にあふれていたし、両親ともに情操教育に熱心で、美しいもの、綺麗なもの、一流のもの、歴史のあるもの、美味しいもの、その時しか体験できないものをたくさん見せてくれたし、経験させてくれた。父がいつも言っていた言葉は「美しいものを美しいと分かる感覚を持った人間になって欲しい」ということだった。

 たしかに私は、そういう風に成長したかもしれない。良い言葉で言えば、感性豊かな人、悪い言葉で言えば、人よりも感度の高いセンサーを持った、繊細過ぎて傷つきやすい人間とも言える。受け流すという能力、傷つきやすい自分を癒す術が身に付かなかったのも、振り返れば、発育環境に起因する部分もあるように思うし、自分自身がいつでも逃げ込める「母の胎内」というシェルターを持っていたからかもしれない。

続く

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