【負けを認める ~我が家編~】
先日、「○くなる人、△になる人」について、述べました。
実は、我が家に
年を重ねて、△の角が更に鋭くなった人と
△から○に変わった人がいましたので、紹介しますね。
年を重ねて、△の角が更に鋭くなった人は、
27年間同居した義母です。
相手の意見を聞く、という事を一切しなくなりました。
例えば、
「Y(義母の孫)が、深夜のラジオの音がうるさくて眠れないそうなので、
協力をお願い出来ませんか」
と言っても、
「年寄りの楽しみを奪う気か?!」と仰る。
「じゃぁさ、今度2人でお茶でもして、
ゆっくりお話を聞かせて頂けませんか?」と言うと
「いがす(いいです)。年寄りの私が我慢すればいいんでしょ😠」
と言って、そのまま毎日ラジオを聞き続ける義母。
その他にもいろいろありましたが、
何を言っても“否定された”“バカにされた”と受け取る義母でした。
もちろん、行動は変えません。
そんな義母に献身的につくしていたのは、義父です。
義母の寝室を防音室にする事も考えてくれました。
義父は、80歳までかなり支配的な人で、
しょっちゅう、誰かを怒鳴ったり、
私の事を愚痴たりしていた人でした。
それが、80歳位から穏やかになったので、私は聞きました。
「おじいちゃん、この頃変わったよね~。
何がきっかけで、変わったんですか?」と。
すると、義父は答えてくれました。
「あのね、年をとると出来ない事が、1つひとつ増えて来るんだよ。
今までは、“若い者には負けられない”と思って頑張って来たんだけど、
負けを認める事にした。
そして、バカな事を言っていたら、人が寄ってきて、
人生が楽しくなってきた😄」と。
「負けを認める」
この辺が、○になるポイントなのかもしれません。
「負けるが勝ち」ですよね。
神さまは、弱いところに光を当ててくださるそうですしね。
「わたしの恵みは、あなたに対して十分である。
わたしの力は、弱いところに完全にあらわれる」
(Ⅱコリント12:9)
私たちは、長所もあれば、短所もあります。
短所を“ダメだ”と思って、隠そうとしても
他者には、見え見えのようです。
なのに、私たちは無意識に
自分の短所を隠そうとして、他者を叩いたり、
相手を自分の思い通りに動かしたくて、攻撃したり、
思い通りにならなくて愚痴たりします。
(だって、人の問題に見えるんですものね💦)
「人の振り見て、我が振り直せ」ですね。
また、
「過去と他人は変えられない。
自分と未来は、変えられる」
ですね。
短所を持っていても、人としての価値は下がらないので、
短所を持ったままの自分を受け入れていきたいし、
相手の考えや感情も認めていきたいものです。
そうしたら、自分も楽になるし、
周りの人も、付き合いやすくなるよね、きっと(^_-)-☆