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「ひとりが好き」って言ってもいろいろありますわよね

大人になってからわたしは、「ひとりでいることを心から楽しみ、愛している人」に、ほのかな憧れを抱いてきた、ような気がする。ような気がする、なんてハッキリしない理由は、精神的に自立しきってる感じがかっこいいと思う反面、人間味とか慈愛とか、そういうものとは少し離れたところにあるような感じもして、それはそれでちょっともの寂しさがありませんか、とか思ったりもしちゃうから。自分がこうなりたいとまでは言わないけど、そういう人っていいよねえ〜ぐらいの、他人事レベルの「憧れ」。この絶妙なラインを、絶妙たらしめている所以はなんなんですかね、という話。

私自身もひとりでいることは大好きで、ひとり遊びもあんまり退屈しないほうだけど、それを心から楽しみ、愛しているのかと問われれば、回答に困ってしまいます。理由は簡単で、ふと寂しくなるときがあるから。ひとりサイコー!って雄叫びを上げながら舞い踊っているときも、突然ブワッと寂しさに包まれる瞬間がある。そのたびに、私はひとりが好きと錯覚しているだけなのかもしれない、もっと言えばひとりが好きとか言っちゃう自分が好きなだけなのかもしれないとさえ感じる・・・えー、そうなの?マジ?だとしたらめっちゃダサいじゃん!なんとかその仮説を覆したい!そんな思いで、今から必死になって考えようとしているワケなんですが(ダサ)。

たとえば、わたしが衝動的に「ひとりで出かけたい/飲みに行きたい」と思うときって、大体いつも決まって「人疲れ」してるときで。他人に気を遣う場面が多ければ多いほど、絶対に今夜はひとりでトリキ(or 日高屋)に行くんだ・・・という意志が固くなる。そのくせ長居しはじめると、「アレ?ちょっと寂しい!」のターンが来る。この、「アレ?」っていうのが、結構キーになっていると思っていて。わたしが考えるに、その程度こそ違えど「たまに寂しくなるから人が恋しくなり、人がたまに億劫になるからひとりになりたくなる」という構造は、基本的に人間に備わってるものだと思うんですよ。ということは、そもそも寂しさを感じなければ、極論、人が恋しく思うこともなければひとりになりたいとも思わない。つまるところ、この「寂しさ」を感じるということ自体が、巡り巡ってひとりを楽しむためのエッセンスになっちゃってる・・・のでは・・・?と思ったんです。で、仮にその理論で行けば、ひとりの時間を楽しむ彼らもまた、寂しい気持ちが無いわけではない、どころか、むしろそれを間接的におつまみとして味わっていたということになる。これは、「ひとりが好き」な人は「人が好き」でもあるという見解。ってことは、いままで私が「人間味とか慈愛とか、そういうものとは少し離れたところにある」と思っていたのは、楽しくてそうしているというより、ひとりでいた方がマシだからそうしているという類の人たちで、私はその辺がごっちゃになっていたのかもな、というふうに解釈できる(とはいえ、そうしなきゃやってらんない日だってあるんだけど)。

人との関わり合いも別に嫌いじゃないしある程度上手くやれるけど、ただただひとりで行動するのが心の底から楽しくてだ〜いすき!寂しさも全く感じない!という人も世の中にはいると思いますが、私が憧れていたのはおそらくソレではなくて、ひとりを謳歌する人間の中に見え隠れする人間っぽい部分を含めた空気感、だったのかもって勝手にちょっとホッとしたりね。まー、自分を正当化したいだけジャンと言われれば、本当にそれまでだし反論する気も毛頭ないですが、これからも大いに「ひとり大好き!」と「ひとり寂しい!」の交換浴を楽しんでいっちゃおーと思った所存でつ。おしまい

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