死について考える。
よりも、やっぱり、生について考えたいなと思うこの頃です。死についてどれだけ考えたって、死ぬまで死について理解することはできないし、そもそも死んだら理解するとかしないとか無いし、死んだ人は生き返らないし、自分もいつか死ぬし。それならいま生きている同士で、愛を、思いを、交換し合うしか仕方がないよなと思う。とは言え、悲しいものは悲しい。だけど悲しみ切ることよりも、悲しいけど、どっかで諦めて、いま生きている大切な人たちに対して、わたしは何を伝えて何を与えていけるのか、そのことについて考えていたい。そうしないと、ずっと苦しいままだから。昨日まで生きていた人に突然居なくなられて、当の本人は何も話すことも考えることもできないのに、こっちばっかり苦しくなって、後悔して、そんなの割に合わねーって思うのです。すごくすごく自分勝手だって分かってるけど、わたしは、あなたが突然居なくなっても、わたし自身が後悔しないために愛を伝えていきたい。悲しむこと、思い出すことが供養だって言うけど、わたしは悲しんでばっかりの人生はやっぱり嫌なんだとおもう。大切だからこそ、失ったときに泣きたくないんだとおもう。いや、まあ、泣きはするだろうけど。だから、あなたが生きている今、言葉で、態度で、文章で、音楽で、伝えていけたらいいなって思ってます。たとえそれが伝わり切らなくてもね。三日前に知り合いが亡くなったこととか、今日が母親の命日ってこととか、いろいろと重なって、改めて大切なことを考えるきっかけになったので、ふと書いてみたのでした。そういうわけで、以上が私のスタンスだ!よろしくナ!私の愛する者どもへ。
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