孤独と実存の病
以下は、Xで開かれたとある界隈のライブストリームに潜り込んだ際に、実際に自分が耳にした会話内容である。
女:「だって変じゃない? あんな小さな窓の隙間から飛び降りることできる?」
男:「じゃあどういうことなんすかね?」
女:「だから彼女はハーフ・レプだから〜」
......かれらは亡くなった神田沙也加さんについてを語っている。事件の起きたホテルの窓が極端に狭いために、「通常の人間では通れない=レプティリアン」という、突拍子もない誇大妄想を展開していた。
母親である松田聖子さんが、実はレプティリアンというのは、界隈の中では有名な話で、単にこのジャケ写の瞳が縦長に見えるという理由だけで、彼女は人外として規定されている。神田沙也加さんが“ハーフ・レプ”と呼称されているのは、これが所以している。
まず問題なのは、かれらに感情の働きが無いということに尽きる。不運な事件によって、亡くなってしまった個人に対して、こうも身勝手な推測を働かせ、根も歯もない噂を立てるような振る舞いがどうしてできようか? 松田聖子さんがそれを見聞きしたときに、どのように思うかを想像できないのだろうか? その神経が理解できないし、怒りの感情さえ湧く。
このような妄想世界が、徐々に現実世界の中へと進捗している。上記のライブストリームしかり、実際のコミュニケーション上のやりとりで、あたかもそれが真実のごとく交わされている。
5月31日に日比谷公園で開かれた反ワクチン大会もそう。
ネットで「真実」に気がつき、「光の戦士」として目覚めた中高年たちが、およそ一万人ほど集まった。
「政府や厚労省、WHOはすべて悪魔と思ってください〜」
「ディープステートは、我々を脅かす様々なプログラムを持っていますが〜」
「人体実験で多くの人に死んでもらおうとしています。その手先になっているのは、岸田というクソたちです〜」
「レプリコンワクチンは、日本人に向けられた3発目の原子爆弾です〜」
......等々。こういった主催者たちの呼びかけに、ジジババたちは歓喜の声を漏らし、大拍手を鳴らす。しまいには、感極まって涙を流す者もいる。
......これも孤独と実存の問題が生み出す、社会的な病理に違いない。
「何者でない自分」が、数少ない世界の裏側を知って「選民意識」に目覚め、政府やマスコミに洗脳された人々を目覚めさせなければならない「使命」に駆られ、現世を超越した世界に浸透し、そこに集まる者たちとの「和」に加わる......。
それは同じ構造を持つアメリカの議会乱入や、日本でのオウム真理教の反省がしっかりとなされていない結果に違いない。歴史を学べ。歴史を学ぶということは、その経緯を学ぶということ。
そして「突き動かされた自分」が、その実、「SNSに踊らされた」だけだということに気がつけ。「使命」とは、単に際限なく拡散するアルゴリズムに飲み込まれただけのことを意味するものではない。
......本や映画や音楽や絵画などの様々なアートに触れ、思索に耽り、対話を重ね、多くの経験をするアプローチを怠らなければ、自身を取り巻いているシステムに少しでも自覚的になれるはず。本来、社会の外側を意識させるはずのアートが腐敗してるからこそ、=受け手の感性が劣化しているからこそ、システムに飲まれるだけの人々が増えている。......のかもしれない。
その点、昨今コンプライアンスがうるさく、キャンセルカルチャーが蔓延る中で、ピエロに扮して33人の子供たちを殺した“ジョン・ゲイシー”を題材に新譜を発表したDIR EN GREYは素晴らしい。観る者を“傷つけ”、あるいは社会の枠組みに亀裂を生じさせ、何かしらの“気づき”を与えるアートの役割を、しっかりと果たしている。