盗作
ずっと小説、盗作を読めていなかった。時間がないということもあったがこの小説を怖かった。
前作、前々作は初めて曲を聞く前に手紙と日記を読んでから音源をきいた。彼らが音楽の中で生きているようでわたしにとっては初めての経験だった。作品に初めて心を動かされた。歌っているのは2作ともsuisさんであるはずなのにエルマとエイミーがそれぞれ歌っているように感じた。
きっとそれだって正しい鑑賞の仕方だ。だが世界観にのめり込む故に私は音楽だけを聞くことが出来なくなった。後ろにある物語に目がいった。音と切り離せなかった。だから盗作は曲だけをずっと聞いていた。楽しげな曲調、アルバムを通して繋がっているようで全く異なる世界観を1ヶ月あまり毎日楽しんだ。私はレプリカントのイントロがとくに好きで、でも歌詞の意味はよく分からなかった。けれど音が心地よかった。この曲の音が好きなのだ。そのせいで小説を読むことでこの楽しみ方が壊れる事が怖かったのだ。
夏の終わりを感じる季節に差し掛かっていることに気がつき小説盗作を読んだ。隙間から盗作をする彼を覗き見た。少年の非行を盗み見た。そんな感覚になった。
やはり読んだ後は彼の事を考えながら曲を聞いてしまう。盗作は罪になるのか、盗作とオマージュの違いは、など考えてしまう。私には全くもって音楽の知識がない。ジャンルの名前も作曲家の名前も音階も楽譜すら読めない。しかし曲の断片に聞いた事のあるフレーズを見つける、それは本当なのか気の所為なのか曖昧だ。オリジナリティーを信じない。彼はそういった。実際そうなのだと思うのだ。私が今書いている拙い文章だってもともとある言葉を切って貼っているのと同じだ。言わばコラージュと何ら変わらないだろう?きっと音楽だってそうなのだ。少ない音数の中の組み合わせなんて直ぐに尽きる。何百年も昔から紡がれている音楽なのだ。新しいなんてもう無い。当たり前のことを知っている人はこの世の中少ない。
n-bunaさんはこの作品を作るにあたって何を考えたのか、そんなことを考えても彼しか正解をもたない。私はそれを美しいと思う。こうやって盗作について考えることが彼の言う1枚の絵の1部になってくれたらこんなに嬉しいことはないと思う。