理想の自分を演じること 夢野久作「少女地獄」を通して 徒然
いつも誰か他の女の人の匂いがするような男の人って、いつまでたっても結局信用できないのかな、なんて。
周りからみたらなんだかんだモテてるように見えるけど、結局のところ孤独なのかな。本人にとっては。
私には関係ないけど。そんなことに思いを巡らせてしまうと、何を基準に生きていけば良いのか、本当にわからなくなりますね。
あんまり周りからみた自分の理想像になろうとすることに執着すると自分の身を滅ぼすっていうのは、夢野久作の「少女地獄」の姫草ユリ子の如くって感じですかね。
それにしても、姫草ユリ子って名前可愛すぎるな、それで19歳とか
まあ、その名前、年齢すらも全てが自分の理想を実現するための虚構だった訳ですが。
この話のテーマとして「虚言癖身体的コンプレックス」って本当に的確に要素を表しすぎてて、すごいと思います。
個人的に、今この作品の存在を思い出して、こうやって思考をまとめる傍ら、例として「少女地獄」を挙げているというのはただの偶然では無い気がします。
どんな状況にあっても、自分ひとりの時間を大切に、ゆっくり向き合う余裕というのを持ち続けていたいと改めて思いました。
毎日noteを書く、そのために本を読む
自分というものを、どうやって見せるかに固執しない時間として、完全に他者の追体験、人間関係、環境を感じることができる読書、特に小説は有効にかなって思います。
もちろん小説に限らず、実用書や評論のような即物的に自身の考えに影響を与えたり、その裏付けとなったりする読書の仕方も、それなりに価値はあると感じます。
ただ私のように、すぐに自分を周りからどう見せるか考えてしまうような人間は、一回全く違う世界に入り込んでしまうのが良いのかなって。自身を客観視するのはもちろん、思考をリセットできるきっかけになると思うので。
まあ、小説の中の感情やキーポイントが余計に自分のこだわりを強めてしまう場合もありますが……笑
あくまで、 noteを書くときは冷静に。自分の演じているものを書かないようにしたいです。
結局のところ、本当にみんな孤独なんだなぁと虚無な気分で定刻って感じです。