ゲシュタルトと望診
ものを見るとき、部分、たとえば
□
を4本の棒とはとらえず四角形という
まとまりをもってとらえます
音楽だって1音1音というよりメロディやまとまりなどでとらえますよね
知覚や感情をばらばらにして研究しようとしたヴントに対して、ゲシュタルト心理学のヴェルトハイマーは人は全体をひとつのまとまりとして知覚するといいました。
これは後につづく認知、社会、教育、生理心理学へ多大な影響を与えましたが、
馴染み深いところでパラパラ漫画
2つの図形を交互に点滅させると動いてみえる(仮現現象)
また、何かばらばらなものを、まとまりとして認識しようとする傾向が人にはあるともいいました(プレグナンツの法則)
個人の経験が見え方に左右する(経験の要因)
たとえば崩れた漢字の元の字を推測したりしますよね
有名なルビンの壷は「図と地」といって
壷を地にしたら2つの顔があらわれ
反対に2つの顔を地にみたらツボが現れます
またレヴィンの場では
‖ ‖
これ2本の棒にみえてしまいますよね
人はバラバラにでなく全体的な場というまとまり、枠組みとして捉える傾向があるということです。
ヴントの要素、構成主義への疑問ばかりでなく、ワトソンの行動主義、S−R理論にも疑問を投げかけます
たとえばゾーンダイクの試行錯誤学習のなかでエサを手に入れた猫とちがい、
ケーラーのチンパンジーは檻のなかから状況を全体的に見通し、洞察というゲシュタルト的な学習で問題を解決しました
さて鍼灸臨床では、望診や舌診、腹診といって体表の色や凹凸感、経絡など全体的な見立てをするのですが、これは深まるとだんだんと☯陰陽図や易などのイメージをベースにみるようになったりします。
主観極まりないですが、鍼灸師のもっている東洋的まとまり感をたよりに今、個々ののからだという場をみるというのでしょうか
科学ではないので強いていえばユングの共時性から説明できるかもしれません。
今日はここまで。