やさしくなれない
常々、自分は優しくないなあと思う。
仲良くしてほしいって言われたけど、合わないものは無理する必要ないし、そういう人間関係もあるんだって思えばよくない?と思ってしまう。
自分が子どもの頃は、「人にやさしく」しているつもりだったし、そうなれるよう育ってきたつもりだった。まあ兄弟も仲良いし、人を不快にさせる行動はしていないつもりだし、そもそも友達には好きな人しか居ないから、表面上は、人にやさしくできていると思っている。
でもそうじゃなくて、根本的な優しさが、わたしには無いなぁと思う。それは多分、人に関心がなくなって、自分のことしかほとんど考えなくなった時期以降、顕著だと思う。
仕事してた頃、自分の気持ちを保つことや、自分がやりたいことを失くさないようにすることに必死だった。人に迷惑をかけないようにしたり、普通に会話をしたりはしていたのだけど、人に何かをしてあげよう、という気持ちには滅多になれなかった。
だから、人にやさしく声をかけたり、すぐに手を差し出せる人達を見て、尊敬しかなかったし、おかげで劣等感が増えていった。わたしって本当にやさしくないんだなぁ、何度もそう思わされた。
でもそもそも、人間なんて私利私欲のために生きているようなもんだから、あながち悪いことじゃないんだろうけどな、とも同時に思ってた。だって、自分都合で生きている人もたくさんいたし。だけど、そうやって、身近なデキル人に毎日劣等感を感じながら過ごすのは、結構キツかったなぁ、今思えば。
ところで最近は、仕事を辞めたせいもあるとは思うけど、好きなことをするために、友達や周りの人が好きなことをするためなら、自分が少しくらい損したっていいかななんて思えちゃってる。まあ、そもそも損得勘定で動いちゃいないんだけど。
わたしがこれからやりたいことは、全くもってもうからないことばっかりな可能性が高くて、それでも続けていくためには、場面によって、「譲る」必要が出てくる。(場面によっては良くないこともあるから、それは追々身につけていくつもり)
だから、無意識か意識か分からないけど、当時よりは、「人のために何かする」ということが、気軽になっているというか、どちらかというとしたい!みたいなモノコトが多い。増えていきそうな気がしてる。
そもそも、当時の私には、やる気がなかった。やる気がなくて、生きるのに必死で、そりゃ「人のために何かをする」なんて考えられないよな、なんて自分を許すことにした。
人にやさしくするって、きっと、余裕が無いとできないんだと思う。
余裕が無い人は、やさしくなれなくて当然。無理にやさしくならなくて良いのだよ。
環境が変わって分かったことのひとつ。
見返りを求めて、やさしくするわけじゃないんだけど、私と、私の好きな人たちがより元気に過ごせるためなら、余裕があるうちは、人にやさしくしたいな、と思うこの頃です。
まあ、合わない人と無理やり仲良くすることは、絶対にしたくないですけど。ジブンダイジ。