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何も持たずに旅に出る


なんだか母の機嫌が悪い。
なのに優しくなれない、私。
わたしってどんだけ優しくないんだ。

ちょうどお散歩したい気分だったので
ふらっと出てきた。
川ででもボーッとしようかと思って。

歩きながら、
あ、そういえばカメラ持ってきてないや。
さらに歩いて、
せめて紙とペンがあったら良かったかな。
もし持たずに旅にでたら、1番最初に買うかもしれない。
でもiPadがあればいいのかな。ちょうど入るカバンがあると良いよね。
いやでもiPadは重いんだよ。だったら紙とペンの方が身軽かも。
なんにも持たずに旅にでるとしたら、最低限持ちたい物ってなんだろうな。
iPhoneやiPadを持つのは何にも持たない旅としてはズルイよな。万能だもん。
紙とペンだけで、道中で思ったことや、見た景色を記録したら、楽しそうだな。そんな、身軽な旅をしてみたいかも。
でもチェキみたいに、ぱって撮ってぱって残せる物も、良いよなぁ。全てを再現できるほどの画力ないし。
これから世界に旅にでるとき、何を持っていこうか。
想像を巡らすのは楽しいけど、優柔不断なわたしには、永遠に答えが出せそうにない。

引越して2年経ったけど、まだ通ったことない近所の道を選んで歩く。
個性的な家が並んでいる路地。突き当たって、川に出ることを期待したら、鬱蒼とした原っぱに、小汚い小川が流れていて、歩く足場は無さそう。
仕方なく引き返して、住宅街と原っぱの間の小道を歩き、ほとんど元の道へ。そのまま進み、広場へ出る。めったに使われないキャンプ場、普段は少年たちがサッカーしてたりする。今日は誰もいないので、ここへ腰を下ろすことにした。

部屋の片付けをしていて、うっかり、ノート類、すなわち日記達に手をつけようとした。
今、片付け術で名の知れた彼女の本を読んで、意識改革を実感しながら、手順に沿って片付けを進めているのだが。
ノートの順番が書かれていなかったので、書類の後に手をつけようとして、順番を間違ったことに気づき、後回しにしたところ。

きょう、書類の続きを、片付けていて、泣いた。
まさか片付けで泣くとは思わなかった。

前職に関する書類や本を、たくさん捨てたんだけど、捨てながら、自分が好きじゃないことに、なんでこんなに長い時間、働いて5年、学生も合わせれば9年も…人生の貴重な時間を9年もかけてしまったんだろうって、泣けてきた。まだ、学生の頃は楽しそうだったかもしれない、でも、楽しくないと思う時間が長すぎて、やる気ないから、全然成長出来なくて…。9年を、やりたいことに費やしていたら、今、どんなふうに生活していたんだろうって。
どんな選択をしたとしても、きっと、20代前半、社会人なりたての時期は、大変なことが多かったり、もしかしたら働けていなかったり、生活がずっと苦しいまんまだった可能性もあったかも知れないけど、それでもやっぱり、好きじゃないことをし続ける9年より、好きなことを探して追いかける9年の方が、絶対幸せじゃん…

でもまあ、わたしが前職を目指したのは、安定した収入と、夢を叶えるための資金確保のためであって、大学に行くためには、奨学金を返せる可能性から選んだら、それしかなかったんだよね。
はじめは全く興味がなかったわけじゃなくて、授業や知識は面白いと思うこともあったし。卒業するころ、働きたくなくなるのは、私だけじゃなくて、多くの同業者でもあることだし。出会えた人たちは、素敵な人が多いし、感謝しているけども。

そんな私の黒歴史時代の、まだ一人前じゃなかったころの記録や日記も出てきた。
見返すのも憎らしいくらい、つらかった時代。自分がやる気ないのも丸見えだし。一生懸命にやろうとしても、全て空回って、なかなか成長できず、つらかった。
捨てたいんだけど、資格を持っているのは事実だし、貴重な経験をさせてくれた人たちにも、失礼な気がする。せっかく苦労して取った資格を、人生の9年もかけてしまった時間を、無にしてしまうのは、なんか違う気もする。

それから、日記達。
断捨離した人の多くが捨てているようだけど、片付けの段階としては1番最後でいいらしい。だからもう少し時間かけて考えようと思っているけど。

とても効率が良いと思ったのは、残したい出来事は10年日記とか、◯年日記を使うと、文量も少なく、見返しやすい。普段の書き殴りは、別のノートにして、使い終わったら捨てるスタイル。
私は記憶力に自信がないので、わすれたくないことを残しておきたいんだけど、今までの、大量の殴り書き、愛おしいけど、見返しづらくてどうしようか。もし上記のスタイルに今から変えたとしても、今までのはどうしよう。
とはいえ、今の時点では、だらだら長く書くことが好きで、◯年日記じゃ収まらん気もするし。
そもそも、忘れたくない記憶って?
忘れたいこともたくさんあるのになぁ。
見返したい部分だけでも、長文になってしまっても見返せるようにするには、どうすればいいんだろう?
普段書き殴って頭の中をスッキリさせることが好きなのに、見返しづらいものはやめるべきなの?

なんだか、私自身のアイデンティティがぐらぐらしてくる気分。

次は小物類に手をつけなきゃいけないのに、うっかり日記に手を出してしまったせいで、そんなことが頭の中ぐるぐる。
答えがでるまでには、もうしばらく時間がかかりそうなので、のんびり考えようね。

生活最低限の収入しかなくて、好きなだけ買えなかったら、こんなに多くの物たちを持たずに生きてこれたのだろうか。
そっちの方が、好きな物を選び抜く習慣が早くから出来上がって、物も増えずに済むし、幸せな気がする。
でも昔の私は、買えないから、という理由で、不要なものを持っていた気もするし、それを不幸せに感じていたと思う。
だから前職を選んだわけだし、今、こうして自分のなりたい姿を考えられる余裕があるのは、わたしが頑張って前職を5年も生き抜いたおかげだし。私と関わってくれた人たちが応援してくれていたおかげだし。

あのとき、違う進路を選んでいたら、私の人生、どうなっていたんだろう。
でも、どんな道を通ってきたって、私は私なのだ。後悔があるならば、それを今後に活かすしかない。活かして、幸せになるのだ。

寒くなってきたから、かーえろっと。



後日談、というか同日談。

資格持ってて良かった、と思えるのは20年くらい先になるかも知れないけど。
やっぱり、わたしが今自分がやりたいことに向かっていけるのは、資格持っている安心感、いざというときは稼ぐ方法があるという安心感があるから、のんびりニート出来るんだよな。

もし、英文や、当時は思いついていなかったデザインに進んだとしても、やっぱり奨学金はつきまとうし、(今もだけど)思うように稼げなくて、今よりもっと僻んで居たかも。分からないけど。

多くはないけど、良い人とも出会えたし。

同じ苦労をするなら、若いうちの方が絶対に楽だし。私は未来の不安に対して、ちゃんと備えてきて、それを達成したんだ。
だからこそ、今、好きを追いかけられるのよ。
やっぱり、必要な段階だったんだ。
今は少しこじつけかもしれないけど、きっと、必ず、私の財産になる。うん。

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