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かけめぐる言葉たち

いい天気だなあ〜!
ピクニックでもしたくなる。
街路樹が黄色や赤に色が変わってきていることにしばらくしてから気づいて、そういえば秋だったのかと思い出す。まるで冬みたいな気温の日も多いけど、今日は暖かくて、ななめに差す日差しがやわらかくきれいで、ひなたぼっこ日和。

人の文章、特に意見の含まれているものを読むと、自分の言葉もぽこぽこと生まれて頭の中を駆け巡るのが面白い。だいたい毎回そうなる。そんなにたくさん本を読むわけじゃないけど、たまに読むからきっとそうなるんだろうな。そういう言葉たちを、誰が聞いてくれるわけでもないけど言いたくなって、だから私はツイッターを続けてきたんだろうなと思う。

今日はもう用事を一件済ませてまだ14時。天気が良すぎてこのまま散歩に出かけたい良い気分なので、日記を書いて1日を終わりにしたい。まあこれから別のことをしようとしているのでそういうわけにはいかなそうだけど。

以前の記事で、本の流通をつくってきた人や支えてきた人達のおかげでウンタラ〜ということを書いたけど、流通するからこその弊害に不満を持っている人がいたり、ネットのつまらない記事に憤りを覚えて自分なりのメディアをつくった人がいるなどの、批判から生まれるいろいろなものがあるって事実を知って、すごく興味深い。そういう人たちの視線は厳しくて、ザクザク発言するのが滑稽で、私は見ていて好きなのだけれど、自分の文章もそういう批判されるようなものになっているのではないか…という不安を覚えないでもない。文章の良し悪しは、誰が決めるものではないし、本人が良ければ良いものもあれば、読み手次第だったり…まあ正解はないなと思っているので、わたしは書くことができているんだけれど。

有名な人に限らず、面白い文章を書く人って本当にどこにでもいて、ふいに出会ったりして衝撃を受ける。本になっていなくても、ネットの記事でしかなくても、当たりはずれはあるけれど、当たりもたくさんあって、油断できない。一生かけても全部は目を通せない量の文章、記事、本が世の中には生まれ続けているから、わたしはすでに全部を読むことは諦めているけれど、気に入った人の文章はずっと追いかけたくなる。

文章は、ほんとうによく、その人らしさを反映すると思っていて、だから文章にまとめられたものを読むということは、その人に話を聞くこととほとんど同じだと思う。知っている人の文章であれば、話を聞く、という感覚になるけれど、知らない人の文章は、まるでその人に出会ったかのような感覚にすらなる。だから、本を読むのはもちろん楽しいけれど、個人的に載せられているブログやネットの文章を読むのもやめられない。だから、人の考えていることが滲んでくるツイッターが好きだ。

何かをつくっている人、という知り合いが少しずつ増えてきて、その人たちがつくるものを見たり読んだりするのが本当に楽しい。
人のものを見て悔しくなったり、もっとがんばろうと思えたり。

自分の言葉、たまに飽きてくるな〜
もっと、本を読もう。

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