文字を連ねること
ふと、頭の中に思いついた言葉を並べていく。
大抵は、その時考えていること。
ツイッターを使い始めた頃から、いや、もっと昔、小学生の頃から、今日の夜は日記になんて書こうか、次はなんてツイートしようか、なんてしょっちゅう言葉を頭の中に巡らしていた。
短い文で表現する人は、すごいなあ。
短い中でも、情景が浮かんだり、ストーリーやオチがちゃんとある。
昔から言葉を連ねていても、私には文章を短くするという概念があまりなかった。
文字数制限があれば、きっと収めるように努めるんだろうけど、制限されたことなんか入試の小論文か小学生の作文くらいか。あまり機会がなかったし、作ろうともしなかった。
長く膨らますことなら出来るかもしれないけど、短く簡潔に、は私には難易度が高い。
もちろん、簡潔で短文の方が、多くの人に読んでもらいやすいし、伝わりやすいだろうということは分かっている。しかも、5.7.5という少ない文字数で言い表すことなんか、私には到底できる気がしないので、本当に頭が下がる。
それから、オチを作るのが本当に苦手で、これは文章に限らず、会話においては顕著だと、自分では思っている。時々、ノリが合えばガハハとなれる時もあるんだけど、自信はない。大阪人にでもなって、オチをつける習慣を身につけるべきだった…と何度思ったことか。
会話って難しいよね。テンポ感が求められるし、頭の回転早い人には全然ついていけないし。だからどんな人とも面白く会話できるような、芸人さんもそうだけど、そこらへんにいる面白い人も、すごく尊敬しちゃう。
そんな、劣等感だらけな私だけど、それでも良いのだ。私はわたしらしく、長くても短くても、オチがなくても面白くなくても、しばらくは好きなように書いていこう、と改めて思う。
そう思えるのは、何事に対しても優劣をつけないという、自分の信念のおかげなのかもしれない。
いろんな記事を読む中で、なんでこの人はこんな表現が、こんな雰囲気を書けるのだろう、と不思議に思うほど、素敵な文章を書く人を何人か知った。
文章だけじゃない。写真だったり、音楽だったり、物だったり。すごく素敵な作品を作る人達は、星の数ほど、たくさんいる。
そのたくさんの素敵な作品に対して、私は、順位をつけるのが全くもって苦手で、いつだって避けてきた。
だってそこにあるのは、優劣じゃなくて、それぞれの個性が存在しているだけ。それぞれの良さを、その人が感じるがまま表現されている時、それを素敵な作品と感じるのだろう。
だから人と比べている場合じゃなく、私は私なりの良さを生み出すしかないし、それはきっと簡単に現れるものじゃないから、自分なりに工夫しながら、続けていくしかないんだろうな、と思っている。
私が自分らしさ表現できるようになった時、それを良いと思ってくれる人が居たらラッキーだな…なんて思いながら。
ライターという仕事にも少し憧れたことがあったけど、人のために文章を書くのは、自分の好きなように書くのとは、全く違う苦労があるんだろうな。
どんな仕事だってそうだ。デザインの仕事も、Webの仕事も、本の仕事も、ラジオの仕事も、音楽の仕事も、工事現場の仕事も…
どんなに簡単そうで誰にでも出来そうな仕事でも、人に頼まれたり、人のことを考えたり、人と関わっている以上、簡単な仕事なんてほとんど無いんだろうな、と考えたりする。人の要望や期待に応えるべく自分を滅しないといけない時もあるだろうし、多分それってすごくストレスだろうな…どんな業界でも。
だから仕事している人はみんな偉い。
仕事してなくても、誰かのために考えたり行動している人は本当にすごいと思う。尊敬します。
思い浮かんだ言葉を並べること、
感情のままに書き殴ること、
今のところ、私にとって文字を連ねることは、ストレス発散のひとつでもある。
だから今はもうしばらく、好きなことを好きなだけ、思いついた時に思い浮かんだまま、書き連ねていきたい。
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