ハッピーマザデイ
14/05/2023
今日は母の日ですねえ。皆様、お母様に感謝は伝えましたでしょうか。世界の全ママ、ほんまに大尊敬ですおめでとうございます、ありがとうございます。
母の日なので、少し私のマミの話を。
わたしがマミから譲り受けたのは楽観性とアウトゴーイングな性格。そして大きい声。笑
顔はあんまり似ていなかったんだけど、最近彼女が二重になってきたことによって似てきた。文字も似てきた。一緒に暮らすと似るのは飼い主とペットだけじゃないのね。
幼稚園の時、劇で魔女の宅急便をやった。みんながキキ役に殺到する中、わたしはニシンのパイを断る意地悪な女の子を選んだ。それには母の口癖である「人と同じことをするな。」が理由だと思う。幼稚園の劇では主役をやる子がたくさんいて、ひとりひとりの台詞量が平等になるように工夫されていた。このニシンのパイ少女は二言しか台詞がないため、一人しかやらなくていい。だから、わたしはこの役に立候補した。だって、この役が唯一誰とも同じことをしない役だったから。そして、ニシンのパイ少女になったことをマミは大層褒めてくれた。(絶対本人は覚えてないと思うけど。)
なんかうちのお母さんてみんなのお母さんと褒めポイントと怒りポイント違うよなって漠然と思ってたんだけど、ある日核心に変わる出来事が小学生の時に起きた。正確には、兄に起きた。それをわたしは指揮者事件と呼んでいる。
授業参観があった日に兄が学校から帰ってくるなり一言。
「お母さん、頼むから指揮者しないで。」と。
シンプルに、このお兄さん何言ってんだよって思ったわたしを尻目にマミは
「え〜いいじゃ〜ん!」って返す。
この事件の概要は、兄のクラスの授業参観は音楽で、担任の先生の指揮で歌を一曲披露するというもの。生徒は保護者の方を向き、先生は保護者に背を向けた状態で伴奏が始まった。すると、なぜかそれを見ていたうちのマミも先生と一緒に指揮を始めたらしい。
恥ずかしがるでも、悪びれるでもなく、「楽しかったし、いい歌だった」。と感想を述べるの母を見て、〈この人は何か違うかも。〉と確信した。
で、子供たちがお家でちょっとご機嫌ななめ、みたいな時はなぜかタンゴを一節一緒に踊る(これがタンゴだということを知るのはだいぶ先の話)、ご飯食べながら寝てると外とか廊下を数往復走って目を覚ましてくる、みたいな儀式もあった。
そこから何だかんだあって小学生の時にわたしはバスケを始めた。そしたら、マミの声、よく通るしでかい。で、知らない間に違うチームの保護者と友達になって、自分の子供が試合していない時はそっちの応援してる。みたいなことが中3まで続いた。この社交性たるや。
普通に学校生活してても、クラスメイトたちからは「あんたのママはね、まああんたのママだから。」と謎に一目置かれていて、みんなからも名前で呼ばれたりしてて。思春期のわたしの友達が、マミを面白がるけど、だからってわたしをイジメたりイジったりしてこなかったことって本当にすごいと思うし、いい友達をもったなって思う。(今でも仲良し!イエイ)
学校帰りにいい感じの男の子と家の前で喋ってたらマミが仕事から帰ってきて、トースターで焼いた干し芋持って出てきて、一言。「ご飯できたら呼ぶからこれでも食べてな!お腹すいたでしょ!」と。全てがクライマックスって感じだった。(彼もいい人でただ美味しがってた。笑)
中学の卒業式ではわたし、家族ぐるみで仲良い男友達K、Kの友達(わたしはほぼ喋ったことない)がたまたま下駄箱にいたら「卒業おめでとう!」って私とKにハグした後、Kの友達にもハグして、「で、君は誰?とにかくおめでとう!」って言って去って言った時も、クライマックスって感じだった。(3人ともとりあえず爆笑したのでこれはこれでよし。笑)
高校に入ってからもマミはマミのままで、高校の友達もわたしのマミのこと名前で呼んで仲良くしてくれたり、大学生になって飲み会の帰りに迎えにきてくれて全員のことを家まで送る”セルフUber”して私の友人とか先輩とかと仲良くなったりしてくれてた。
とまあ、ざっと思い出すだけでも色々となんか面白いことしてるよね、このお方は。と思うことがあるけれど、本当にすごいと思うのは、人と違うことをすることを恐れなかったり、何か起こって恥ずかしい思いをすることを当たり前だと教えてくれたこと。それは、言葉でも言われていたし、生き様に出ていた気がする。あとは、あなたが一番可愛いって日々伝えてくれていたこと。(いまだに髪きった!とか送るとかわいいじゃ〜ん!って言われる。最高。)
「子育て大変だった?」って聞くと必ず、
「う〜ん。子育てやってないからなあ」
って返ってくる。それってすごいと思う。実際に、父方の祖父母が近くに住んでいて、よく祖父母と一緒にいたけれど、それでも「私が育てたわけじゃないのよ。みんなが育ててくれたわけ。で、勝手に大きくなったわけ」って思える母は強い。(嫁姑として最高に仲良くしていたので、マミのお見舞いにきた祖母は実の母親に間違えられていたらしい。(マミ談))
実際に高校卒業してからアメリカに行くことにした時も、ロンドンに編入したいと伝えた時も、オランダで進学してそのまますむって伝えた時も、
ちゃんと考えた後に(一応自分の友達に話したりはしてたみたいだけど)結局は「頑張って!パピの説得だけしなね!」な態度で一緒に東京に着いてきてくれたりしてた。パリに住んでも東京に住んでも、実家から出て行ってたら一緒って思うらしい。
いまだに、戸籍が必要です。。。とかで迷惑かけるけど、全力サポーターだし、ありがたいったらないです。
わたしは「ありがたいねえ」が口癖だと誰かが教えてくれたんだけど、多分それはマミが全てに感謝していきなさい!って口すっぱくして言ってくれてたし、マミの口癖も「ありがたいねえ」だからだと思う。いつか住んでる国に呼び寄せて、3ヶ月くらダラダラしてほしい、と思うのであった。。。
つづく、、!