それが聴けて幸せ (人と話すこと・聴くこと)
内向的な性格もあって、まあまあ親しい間柄でも聞き手に回ることが多い。
集団の中で話題に入れず、盛り上がりにも乗れず、どうしようかと、少し寂しく少し冷めた思いで黙っていることもある。
一対一でも、相手のペースの中で、しんどいなと思いつつ、しかし話の腰を折れず、苦笑いを浮かべ焦りを隠していることもなくはない。
けれど、基本的には、相手の話を聴くことは好き。
誰かの話を、時にはただただ相槌を打って、時には質問を重ねて、聴いているのは心地良い。
そんな中でも、とりわけ好きな「聴く」がある。
ありがたいことに、2つある。
相手の話す、誰かとの思い出話を聴くのが好き。
相手がふと漏らした、誰かの話を聴くのが好き。
遠い昔ではないけれど、少し昔の、誰かとの思い出や、思い出というほどでもないちょっとした話。
高尚な教えを垂れるわけでもなく、利益をもたらすわけでもない、言ってみれば「しょうもない」話かもしれないけれど、
その時そこに、確かにいた、誰かとのつながりを感じて、限りなく温かい。
四方山話の最中に、その一部から連想されて偶然に、ふと溢れた言葉、エピソード。
結婚後に思いを寄せられていたと気づいた相手、
朝方まで飲んだくれた友人、
昔、可愛がってくれた先輩。
あるいは、会話の中に誰かを登場させる際の言葉の選び方でさえも。
時が流れて立場が変わって、あるいは、相手が亡くなって、はたまた現在進行形で、等々、性質も重みも様々ながら、唯一無二の誰かの存在が感じられる。
その誰かを直接に知ることは概ね叶わないけれど、対面する相手の楽しそうな、あるいは寂しそうな、総じて切々とした表情から、確かに存在した・する誰かと、その誰かとのつながりを感じられて、それはとても温かく胸に沁みる。
自分が内向的な、非社交的な人間だからというのもあってか、胸の内のぽっかりあいた空洞を満たすような感覚すらする。
話をする相手の、自分が知らない姿を垣間見る時でもある。
自分という人間を媒介としては引き出され得ない相手の姿が、どこかの時点でその場にいた誰かが媒介となって呼び起こされて、それは一瞬の表情や言葉の抑揚にしか表れないこともあるけれど、確かに、自分が知らない、自分では知ることのできない相手をうかがい知る。
一瞬の言葉でも1つの話題でも、時間の長短は問わず、対面しながら、そこに誰かを介した、重層的な作用が働く様。対面する相手が立体的な存在だと知る面白さ。
話の流れによっては、もしかしたら聞き手が自分だということも何かしらの要素になっているのかもしれない、と、人物と作用をさらに多層構造にしてみても面白い。そんな場の魅力もあるのかもしれない。
しかし何よりも、普段知り得ない相手の姿に、そして、その背景にある誰かとの関係が垣間見えることに、温かな気持ちにさせられる。
とてもありがたいなぁ…と思ってしまう。
もう1つは全く性質が異なるが、
一対一で質問を重ねながら相手の話を聴くのが好き。
質問を重ねるうちに偶然に何かが繋がって、当初のテーマとは異なる、けれど、その人の在り方や行動の根幹にある、思いもよらない言葉がぽろりとこぼれる瞬間がある。
生い立ちだとか、感情だとか。
当たり障りのない、想定され得る答えを超えて、何かを得られる時がある。
逆に、どれだけ知識を備えても、どれだけ質問を重ねても、一問一答形式の問題集みたいに、ぽつぽつとしか答えが返ってこない時もある。
交わした応答の多さによらず、紙面上のやり取りと変わらない、人間が面と向かっている意味を見失うような、表面的な応答に終始する時。
1つ目の「聴く」と違うのは、自分の働きかけがある程度直接作用すること。自分の存在抜きにして、など起こり得ない。わかりやすい分、創意工夫のしようがある。
しかし、まったくのまっさら自然体で臨んでそれが得られる時もあるのだから、自分の働きかけをこえた巡り合せや偶然もあるように思う。たまたま相手に幸運な出来事があって話しやすかった、なんてこともあるかもしれない。
相手の事情含めすべては把握想定し切れないことで、どうして一対一で質問を重ねた際に、何かが生まれる時と生まれない時があるのか、全くわからない。わからないからこそ、得られた何かがありがたい。
何も生まれなくても、何かが生まれても、この「聴く」も深い余韻を残す。
この数年で、直接に人と話し聴く機会は、その前と比較すれば総じて減ったのではないかと思う。今後どうなるかは未知数だけれど、だからこそ、たまに訪れるその瞬間がありがたい。
機会の多少という点では、1つ目の「聴く」は、どこかでふと漏れ聞こえた1フレーズの会話からその瞬間を得られることもある。
その場合は、誰かの、そのまた誰かとの関係性をうかがい知るに留まって、自分をどこかに介するわけではないのだが、それは逆に、自分が知らないこの世界のあちこちで確かに存在するつながりを実感させられて、不思議と心温まる。
そこに自分がいてもいなくても、「聴く」ことを大事にしたい。
今日も明日も、誰かの話を「聴く」ことができれば幸せ。
#幸せ #好き