「春夏秋冬理論」を当てはめてみて
「春夏秋冬理論」を初めて知ったのは、日経新聞の「リーダーの本棚」で紀文食品社長の堤裕さん(さん呼びして良いのだろうか…)が紹介していた『なぜ春はこない?』を読んだ時。
記事内の、逆境下にあって「心にしみた」というお言葉に当時の自分として思うところがあったのと、著者・神田昌典さんの別の本を読んだことがあったことから、新装版の帯に記載された「人生が変わる!」という大袈裟なキャッチコピーには正直なところ胡散臭さを感じつつ、手に取ったのがきっかけだった。
入口となるビジネスの成長カーブ・事業のサイクルについては、製品ライフサイクル・イノベーター理論等から馴染みやすく、ある程度の納得感で読んでいた。
その後、上記に擬える形で人間の成長カーブの話となり、人生の季節サイクル(12年周期)の話になる。
人生の12年周期を実証できるかはさておいて、人間うまくいく時・いかない時というのはあって、それぞれに注力すべきことは異なっているのだということ、各季節に適切なことを行えばスパイラル状に上昇していくのだ、ということは、どんな状況下の人間でもしっくりくる、かつ、希望を持てる話だろうと単純な感想を抱いた。
(盛者必衰、諸行無常、男時女時等、移り変わりはよく聞くが、そこを上昇スパイラルにもっていけるかは、周期として見ないと出てこない視点だとも思った)
この本には自分の人生サイクルを振り返るワークシートがついているのだが、上記理論がある程度しっくりきてしまったものだから、逆に何もしなかった。下手にしっくりきてしまうとうわべの理解に留まってしまう、残念な実例を作ってしまった…。
数年経って、2020年以後にマイペースながら社会の変化を感じ、より長くより高い視点から人生の棚卸をしたいと思った際、再度この本を手に取り、また、より詳しい『春夏秋冬理論』(著・來夢さん、監修・神田昌典さん)に手を伸ばした。「生まれた季節」による性格傾向など、占いの理論の色が強くなるが、12年・12ヶ月の季節サイクルを人生に活かすという基本はぶれない。
詳細を知り、ここでようやっと人生を季節サイクルと捉えての棚卸を行った。
理論として確かなのか、という話は置いておいて、思考の枠組として当てはめた時に、ただの一方向の流れでも単発的な成果・課題でもなく、1周期・各季節というつながりと単位を基とした捉え方・整理ができること、サイクルの上がり下がりを踏まえた適切な行動に思いを巡らせられることは、この理論を使っての棚卸の良いところだと実感できた。
また、12のサイクルは身近によくあり、春夏秋冬を当てはめられる対象が広く、多くの物事をシンプルに捉える助けになるように思う。春夏秋冬の4くくりからざっくり大枠を捉えた後に、詳細に分け入ると、全体像を見失わずに済む。
…と、ここで終われば、春夏秋冬理論を活かしていこう、という話なのだが、個人的に振り返ってみた感想として、心に刺さる要素が多かった。
特に「夏」「秋」で、元から色々あった時期だとは捉えていたが、ここに季節の明確な色をつけた時に、より後悔が強く立ち昇ってきて居た堪れない。
具体的には、それぞれの季節に適した行動の見事に逆を行って、また、それぞれの季節に注意が必要な穴に見事にはまっていること。
理論に当てはまると…
エネルギッシュだという「夏」の時期に、適していた「本当にやりたいこと」の決断から逃げたこと。
「夏」の時期に多いという出会いについて、自分都合で大事にできなかったこと。
出来た話に逢いやすいという「夏」の時期に、よく出来た話にうかうかと乗っかったこと。
自分の実力以上の何かができてしまう「夏」に、謙虚でいられなかったこと。
この「夏」の傲慢を、勉強・反省の季節である「秋」に持ち越したこと。
「秋」に起こるという予想外の出来事について、「夏」の傲慢さ故、自分のこととして謙虚に受け止めること・学ぶことを怠ったこと。
それぞれの季節のアドバイスに、ものの見事に反する形で行動していたのだな、と。
軽い気持ちから理論ベースで振り返ったが、精神的な打撃が大きかった。
ここまで馬鹿素直に春夏秋冬理論の逆張りを行くのは、理論が当てはまったのか、理論を知って人生の棚卸をした故か。
それは鶏と卵の話になってしまうのでナンセンスだと思うが、この結果を踏まえると、この先を見据えるに当たり、自分にとっては春夏秋冬理論を道標として使うことは有用だと言える。
1年の終わりも少しずつ見えてきたこの時期、理論をベースとして、粒度をより細かくした振り返りと大枠での目標設定をしたいと思う。
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