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いつかのとろろ | エッセイ
お正月の味がする。
都内の定食屋でとろろを口にしたとき、ふとそう思った。地元には年始にとろろを食べて無病息災を祈る習慣がある。幼いころは祖父が毎年振舞ってくれていたので、私にとってとろろはお正月の食べ物なのだ。地元から遠く離れた都会のとろろは、不思議と祖父の味と似ていた。祖父は年を重ねて火の扱いが難しくなり、もう台所に近づくことはない。
1年に1度の光景は、すこし騒がしいものだった。
どこに収納されていたか分からない大きな大きなすり鉢と、こん棒のようなすりこぎ。たまにしか台所に立たない祖父がゴリゴリと自然薯をすり始める。歪な塊が薄い黄色のどろどろになっていくのを私はじっと覗き込んでいた。
こだわりが強く偏屈な祖父だが、私にだけは異常なほど甘く、調理の邪魔をしても文句のひとつもなかった。とりとめもなく語られたこだわりについてはひとつも覚えていないが、祖父の黒縁の厚い眼鏡の奥の目がきゅっと細くなっていたのは思い出せる。作り方を聞こうかな、そう思っていた矢先だった。
祖父が亡くなった。事故だった。
慌ただしく葬儀が終わり、日常に戻った私は都内でまたとろろを口にした。それは懐かしく思ったはずのとろろで、でも、なぜか祖父のものとはまったく別の味だった。あのお正月のとろろはたしかもっと濃くて香りがよくて、特別な味だったはずだ。どうして似ているだなんて思ったのだろう。
もう、祖父のとろろを食べられない。そんなことで、私はひとり夜道で泣いた。作り方を聞けばよかった。もっと帰省すればよかった。私が作ってあげればよかった。生きていてほしかった。夫に心配されるのが嫌で、家のまわりをただぐるぐると歩いた。
皮肉なほど月はまるくて、この世に悩みなんて存在しないかのように煌々と輝いていた。睨んでも目を背けても、月は静かに私を照らした。
いいや、と思った。もう誰もつくれないね、でいい。もう二度と食べられなくなることも含めて、手料理の美味しさなのだろう。そう思おうと、決めた。
私は、祖父のとろろを食べられない私のまま、生きていく。
いつか橋の向こうで、あのとろろに入っていたのはなんだったの、と祖父に聞く日を楽しみに。