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ザッピング
大学に入ってから、高校の時と何かが違う、という違和感がずっとありました。もちろん生活リズムとかは全く違うのですが、そこではなくて、頭への情報の入り方、思考の仕方がなんだか今までと違う、しかもよくない方向に…となんとなく思っていました。
最近、その「高校時代にはあったのに大学に入って失くしてしまったもの」の正体の名前を知りました。
ザッピング
ザッピングとは 、テレビ視聴において、リモコンでチャンネルを頻繁に切り替えながら視聴する行為のこと。つまり、「これを見る」と決めてチャンネルを選ぶのではなく、ぱーっと少しずつ色んなものを見ていくことを指します。
私が感じていた高校時代と大学に入ってからの一番大きな違いは、このザッピングができなくなった(しにくくなった)ことであると気づきました。高校時代は、それぞれみんな色々なものに興味を持っていたから話すことの幅も広かったけれど、ある特定の分野に興味のある(「学部」という形でまとめられた)人ばかりが集まる環境になり、それまでに比べて明らかに入ってくる情報の振れ幅が狭くなりました。
この高校→大学の変化は、ネットが普及する前後の変化とよく似ていると思います。今までは本屋に行って元々興味のなかったものにも手を出す機会がありましたが、今のネットの世界では基本的にキーワード検索して興味をピンポイントで狙って知りに行く。
もちろん、大学は特定の分野に絞ることでより学びを深めるための場所であり、その目的が悪いとは思いません。でも意識して違う考え方違う環境の人と話していかないと、知らず知らずのうちに頭が凝り固まってしまうような気がしてしまいます。
ただ、最近面白いなと思うのは、オンラインコンテンツの普及によって自分の置く環境をデザインしやすくなっているように思います。いい意味で囲まれなくなっていると思うんです。
私自身、この状況になってから参加したいくつかのオンラインのコミュニティでは今までだと出会うはずもなかった人たちに多く出会うことができ、様々な考え方を知ることができただけでなくそこから新たなアクションを生み出すことができるようになっています。
インターネット上で、心地の良い(=興味のある)モノを探すところから、心地の良いトコロを探すフェーズに入ってきているような気がします。
分野が共通しているから繋がるのではなく、価値観が共通しているから繋がる時代へ。分野で縛られる会社や学校が場所を問わなくなった今、「生活に必要な圏内に身を置く」という常識が、変わりつつあるのだなと実感しています。