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意識の中の色
傘は赤い。
なぜか女の子の傘は赤で、男の子の傘は青。はっきりと意識したわけではありませんが、心のどこかにそんな区別がありました。おそらく子どもの頃に見たポスターか何かの影響なのだと思います。
ランドセルも、わたしが子どもの頃は女の子は赤で男の子は黒でした。今は色とりどり、自分の好きな色のランドセルを選んでいるようです。
リンゴも真っ赤っか。という印象がありますが、近ごろ店頭に並んでいるリンゴは、黄色に赤がほんのり混じっているというものが多いように思います。
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子どもの頃に不思議に思ったことがありました。「今、わたしが赤と言っているこの色は、みんな同じ赤に見えているのだろうか?」と。
今では波長や周波数の原理を少し理解しているので、赤は同じ赤であり、もし違うように見えていたら目の問題なのだと、たいして面白くもないことがすっと頭に浮かんできます。
色と結びついている物事や出来事は、時代や民族、風習でも変わっていきますが、画像や映像を簡単にシェアできる今の時代は、意識として持っている共通の認識というのは、もっと希薄になっていくのでしょうね。
だから、「個性的であれ」と言われても、普遍的なベースがないので、それはとっても難しい注文なのかも知れません。