子供に身につけさせたい事
子育て、とは一体何でしょうか。
私には9歳6歳の男女が一人ずついますが、子供を育てているよりも子供に育てられている気がしてなりません。
そもそも、アラフォーの自分が、私ももう大人なんだなと実感したのはおそらく20代後半でした。
小さい頃は18歳や20歳はもう大人の仲間入り、子供とは違うんだと思っていたけれど、18歳になっても20歳を過ぎても大人になった実感はなく、社会人になっても自分でお金を稼げるようになった以外は何も変わりませんでした。
結婚をして子供を授かり、自分を必要としている小さな人間を育てているうちに、だんだんと自分は大人なんだ、お母さんになったのだと思えるようになりました。
もっとも最初の数年間は、小児科で『〇〇君のお母さん』と呼ばれるたびに、私の事ですか?と実感できずにいましたが。
さて、今ようやく『大人』そして『母親』であると実感できる私が子供にできる事は何でしょう?
これは子育ての永遠のテーマでもあるような気がします。
けれど、考えれば考えるほどに、親が(私が)子供にできる事なんて本当に僅かでしかないと思うのです。きっと世の中のお母さんはもっとしっかり母親としての役目を果たしていることと思います。
わたしのように、自由奔放でお気楽なお母さんも少数ながらいらっしゃると思うので、価値を共有できる方が読んでくだされば幸いです。
産まれたばかりの頃、お腹が空けば泣き、オムツが汚れれば泣き、抱っこして欲しくて泣き、眠くて眠れなくて泣き・・・ そのうち言葉が話せるようになり、我慢ができるようになり、毎日どんどん成長していく子供達。
家では何も教えていないのに、鉛筆の持ち方やアルファベットの書き方、単語の読み方や発音の仕方を覚えてきました。簡単な文をキンダーガーテン(日本の年長さん)で読み始めたと思ったら、たった3年で今や超分厚いハリーポッターのようなチャプターブックをすごい速さで読んでいます。
子供に気づきを与えてもらい、私の場合は英語も教えてもらい、忘れていた大切な事を思い出させてくれ、自分が教えられる事の数倍も数十倍も子供から学ばせてもらう事の方が多いのです。
快適な衣食住を提供する他に私ができる事は・・・?
多少の失敗をしてもいつかできるようになるから大丈夫だよ、子供を信じる事でしょうか。ついつい口を出しそうになり、失敗すると分かっている事を傍で見守るという事はとても難しいのですが。
転んでも自分で立ち上がって生きていけるタフさ。うまく行かない時だって、自分じゃどうしょうもない時だって、必要な時は他の人の手を借りながら、また立ち上がって歩いて行ける子になって欲しい。
ありがとうの感謝、ごめんなさい(これは言うと負けとするアメリカ人が多いこと)、こんにちは、基本のあいさつを忘れずどこでも生きていける子になるよう親の私がその背中を見せ続ける事。
いつだって帰る場所がある、安全基地のような存在になる事。今のところは子供たちは愛されていると実感しているようなので、思春期以降も親である私たち夫婦が自分を偽る事なく、子供にもありのままの親の姿を見せ続けていきたいです。
私の両親は、私たち子供に言葉で愛しているという表現はあまりしませんでしたが、私たち兄妹はみな両親に愛されている自信がある、ごく普通の中流家庭でしたがこれだけは胸を張って家族自慢できるところです。
今はこの世に存在しない父はどう考えても私が間違っている時でも最後まで何の否定もせず話を聞いてくれ、母は自分にも他人にも正直な人でいつも周りに人が集まってくる、何があっても受け入れてくれるまさに私の安全基地です。
おそらく、『愛されている』、これさえあれば『理由は特にないけど、大丈夫!』、失敗しても学んで前に進み続けることができるし、どの環境においても生きていくことができると私は思っています。
旦那さんには『その根拠のない自信はどこから来るの』と言われますが、何とかなっていることが多いのものです。
冷静に判断ができる自分と反対の性格の人と結婚したから、バランスが取れているのかもしれません。
最近失敗を恐れてトライする前にやめてしまう、そんな長男についての接し方を考えていて、自分にできる事を考えてみました。
私が心配しているのを子供は感じ取ってしまいそうなので、それも成長の過程の一つかな、自分の息子だから大丈夫、と今はしばらく信じて見守りたいと思います。
性格っておもしろいですね。娘は私と同じく、何でも大丈夫!大丈夫!と行動します。これはこれで将来心配になるのですが、私達夫婦の性格が分かりやすく遺伝しているようでもあります。
ちょうど足して2で割れればいいのにな。