癒されるために、ひとりにならなくていい。
ここのところ、とても大きな思いこみが外れる経験をしていた。
そこに至るまでには、いろんなできごとが重なったのだけれど、
起こること、起こることすべてに、底には共通するメッセージが流れていると感じていた。
それは、
先祖からわたし、そしてわたしから未来の世代へつながって生きることだったり
まわりと調和して、大いなるもののいちぶとして生きることだったり。
正直、今までのわたしの考え方、生き方とは真逆で、いつもなんだか臭いもののように感じていたし、どこか受け入れがたかった。
氣づけばいつもひとりだった
おとなになったわたしは、まず家族と向き合うことを決めた。
そのために、傷ついたじぶんを癒し、じぶんと向き愛うことした。
だれかの問題は、そのひとの問題として、じぶんとひとを、区切ることで、じぶんを守ろうとしていた。
でもそうやっていたら、いつの間にかわたしはひとりだった。
それでも、じぶんはじぶんの直感に従ってspiritualに生きているんだと思っていた。
まわりが理解してくれないだけ、わたしはまちがってないと思いこんでいた。
行きたいときに行きたいところへ行けないわたし
じぶんがやりたいことをして、
行きたいところに行っているつもりだった。
でも、それはいつも、"なんとか"、"自力で"という感じで、それきり、あとにつながっていかなかった。
まわりから応援されなくても、理解されなくても、行きたいところに行くわたし、それでいいんだと思っていた。
でも、まわりに理解も応援もされないから、自力でなんとかできなければ、わたしの望みは叶えられなかった。
そして、もっとまわりが協力してくれたらうまくいくのに、と不満だった。
ずっと"ひとり"で生きているつもりだったけれど、ひとりで叶えられることなんて、限界がある。
まわりの協力なくしては、叶えられる夢も狭まってしまう。
そこで、じゃあどうして今のわたしは、まわりに協力してもらえない状況をつくってしまっているのだろう、
そこを見つめなければいけないときに来ていた。
今がうまくいっていないわけ
そんなときに、琉球風水志のシウマさんという方を知り、なにげなく占ってもらった。
そこで言われていたのは、わたしの本来の氣質として、リーダーシップでひとをまとめていくことや、まわりと調和するとうまくいくこと。
じぶんの想いを貫いても、不幸とまではいかなくても不器用な生き方になるらしい。
それを聞いて、そりゃあ、うまくいかないよなぁと思った。
もうひとりにならなくてもいい
まずはじぶんを癒そうと、ひとりでインナーチャイルドの癒しにこんこんと向き愛っていたのだけれど、
わたしはじぶんのことを大切にできていなかった。
もちろん、まわりのひとも。
そして、わたしは氣づけばいつも、ひとりだった。
だから、友人のブログを読んだとき、とても救われた。
今までの人生で、わたしがひとりで生きようとしてきたわけがわかった。
そうやって生きてきたから辛かったんだ。
でも、もうじぶんを癒すため、じぶんを守るためにひとりにならなくてもいいんだ。
こころのなかで感じていることと、ひとに見せるものを変えなくてもいいんだ。
言葉で言うだけじゃなく、体感で生きたらそこはどんな世界だろう。
おかげさま、と言い合える世界。
わたしとあなたはいっしょ、ひとつって安心でつながることから湧いてくる感謝の世界。
とりあえず、わたしにとってはまったく未知の世界であることはまちがいない。