終わりは美しさを見せてくれる。
2022年が、あと1時間ちょっとで終わる。
終わりは怖いものだと思っていた。
でも今、終わりが見せてくれているのは、ただただ、じぶんの世界は美しかったなということ。
そして、今わたしが立っている、ここへの感謝だ。
今、どこにいて、だれといて、なにをしていようと、たとえ現実が"ダメ"に思えていても、ここにいたから、この一年こんなにも美しいものを見ることができた。
そして、出会うべくして出会ったひととの、たくさんの試練を乗り越えたからこそ、わたしの今のこころの平穏がある。
だから、"こんな道にいるわたし"を認められないなら、今年一年、じぶんがしたこと、まわりの環境そのものはどうだっていい。
今年も、なににもなれなかった。
今年も、なにも達成できなかった。
そうだとしても、わたしのこころは、今、こんなにも美しさがあふれていて、そして穏やかだ。
一年前のわたしと比べて、変わったことなんて、それくらいかもしれない。
でも、一年前のわたしが手にできなかった安らぎが、今のわたしにはたしかにある。
それだけでいい。
それだけで、もう十分だ。
有終の美は、"終わりが有るから、美しい"という意味だ。
すべての終わりは、美しいのだ。
なにかが終わるのは、なにかがイヤになったからでも、相手を嫌いになったからでもない。
わたしが今いるここに、ただ*⋆⸜ 感謝 ⸝⋆*のきもちをもてたとき、執着を手放せる。
そうして、自然と消えてゆく。
それがほんとうの終わりなのかもしれない。
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今日は仕事納め。
なんか、"納め"って、いいな。
区切りをちゃんとつけて、終わらせる。
そんな凛とした清々しいけじめを感じさせる。
大掃除をした。
いつも気になっていたけれど、なかなか手をつけられずにいた場所。
ようやく目を向けて、掃いて、拭いて、払う。
いつも掃除をしていると、まるでじぶんのこころのなかもきれいになっていくようだと感じる。
そとの世界をきれいにしているようで、わたしはじぶんのこころそのものと向き合っている。
隅に溜まった埃は、いつか置いてきて忘れ去られた過去の記憶。
そうだった、こんなものもあったね、と再会する。
そうして、払って、光をあてて、浄化する。
こんな作業が、きっと目に見えない潜在意識の世界でもつられて起きているのかもしれない。
だからわたしは、昔から掃除にはナニカあると思っていたし、まるでじぶんが清くなるように感じられる掃除の時間が大好きだった。
道具を工夫して活用したり、こことここをやると決めたところを終わらせたり、そうしてわたしのもとには、きれいになった空間が返ってくる。
それがなによりこころに達成感をもたらしてくれる。
そうしてこころが得た清々しさこそが、なにものにも変えがたい豊かさなのだ。
その達成感は、わたしたちに小さな自信という勲章もくれる。
それもまた、宇宙のささやかなれど壮大なギフトなのだ。