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足りないと思っていたエネルギーは、出すことでしか補えないんだ。
どかっと降って積もった雪のせいで、朝は雪おろし、雪かき、夜は雪道運転で帰りが遅くなる。
ここ数日そんな日が続いて、モーニングページも書けない日もあった。
なんだかわけもなく、一寸先は闇、みたいな心地になることがある。
でも、そんなときでも、雪が積もっていたら、かくしかない。
じぶんのために。
そうやって、もうないと思っていたエネルギーは、じぶんから出すことでしか、創りだせないんだと、そんなことを冬に教わった。
雪国で生まれ育ち、そしてまた遠い雪国で暮らしている。
寒さには慣れているはずだけれど、寒いのは苦手だ。
でも、苦手と思っていることをひとつ、クリアできると、その壁の向こうに開けた世界は、とても自由だ。
壁と思っていたものを、越えられたら、またひとまわり強くなれるし、小さな自信という力こぶができる気がする。
それに、制限だったものに縛られずにいられる解放感は、わたしを身軽にしてくれる。
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今年はじめて本格的な雪が降った日、頭やおしりにふわふわのユキちゃんを乗せたまま走る車が、なんだか寝起きのまま出てきましたという顔に見えて、かわいかった。
そしてわたしははじめてこれぞ雪道の運転かという体験をすることになった。
いつもより、スピードを落として、堂々とゆっくり走れることに、ホッとしてゆとりを感じる。
なんだか、この世界全体のスピード感もゆっくりになった気がして、やっとみんなスローダウンできたね、とうれしくなる。
遅いかなと、まわりを気にすることなくじぶんの運転だけに集中して、ゆずれるスペースがあれば抜かしてもらう。
道端で除雪してくれる車には、ありがとうのサインを送る。
なんだか、雪国の冬は、自然が厳しいからこそ、ひとはペースを落とすことを学び、ひととひととが手をとりあうあったかい季節だ。
降りしきる雪に、おとなたちの会話は雪のことでもちきり。
なんだか、子ども以上にはしゃいでいるのは、実はおとなのような気がしてくる。
大変、大変と言いつつ、なんだか楽しそうにも見える。
それはやっぱり、雪が、ひととひととをつないでくれているのだろうと思う。
あんまり降り止まないと、いつまで降るの、どこまで積もるの、と不安になるけれど、その雪が溶けてしまうと、案外寂しくなったりもするのだ。
わたしは、雪ですっぽり覆われた、真っ白の街に、なんだか安堵を覚える。
それは、生まれ育った土地との記憶なのか、それとも真っ白の雪が、まるで地上からちりをすべて吸い取ってくれた気がするのか、はたまた真っ白になった街が、ごちゃごちゃからいったんリセットしてくれたように感じるのかはわからない。
それらがすべてギフトなのかもしれない。
だからわたしは、寒くて苦手な冬が好きだ。
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そう言えば、昔、江國香織さんの『雪だるまの雪子ちゃん』という本を読んで、なんだかとてもあったかいきもちになって、その本が大好きになった。
この前、素敵な本屋さんでひさしぶりにその単行本を見かけた。
買おうか迷って買わなかったけれど、今度買おう。また読もう。そして大事にしよう。