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いちにち、いちにちが大切。

さあ、おかえり、わたし。

今日も、なにを書くかな…と。


最近のおやすみの日は、パジャマのまま過ごしている。

今日はムーンタイムということもあって、"ムリをしない"がお決まりの過ごし方だ。

と言っても、ケイタイをずっと見ながらほんとに動かないでいると、一日が終わるころに、なんだかエネルギーの不完全燃焼を起こしたみたいなくすぶったきもちが残ってしまう。

だから、思い立った運動くらいは、軽くしてみてもいいのかもしれない。

いつも、じぶんの意に反した、やりたくないことをやらされるのが、きっとからだには一番よくないんだろう。


毎日note書くことにしたけれど、早々と"毎日"は諦めることにした。

でも、書きたいきもちは変わりなく、そして毎日じゃないからと言って、やさぐれたきもちになるのもイヤだから、やっぱりこれも、書きたいときに書けばいい。
できれば毎日書きたいけれど。
そういうスタンスでいこう。

この前は、過去最速ででかける支度をするほど、起きて着替えてすぐ仕事、って日があって、その日はいつも書いてるジャーナルすら書けなかった。

でも朝寝坊しないかぎり、モーニングページはつづいている。

たまに読み返すのが楽しい。

素直に、じぶんが感じていることを表現していて、読んでいてきもちがいい。

そういう文章を、ここでも書きたいと思ってるし、書いているつもり。

なんだけど、やっぱりじぶんのなかで、ひととの間にある壁があって、どうしても、ひとの目があるところでは、じぶんをさらけだすことに抵抗があるのかもしれない。

わたしのなかに、自己批判して、じぶんを責めるじぶんとの葛藤がある。
(ここで、"わたし"とか言うのも、ひっかかる。)

それをここでのたうちまわって、さらけだしている。

読むひとには申し訳ない、ほんとうにわたしが書きたいのはこんなことじゃないと思いながら…

ここでもまた自己批判がはじまる。

こんなことを書いて、ひとにじぶんの問題を解決してもらうつもり?とか。

ひとのきもちを重くしてるんじゃないかとも思う。

ま、いっか。
そんなにじぶんに厳しくしなくたって。
だって想いのままに書くのがまさにジャーナルのいいところ。
原稿じゃないんだし、完璧なんてない。目指さなくていい。

じゃあ話を戻そう。
その朝書いているジャーナルを読んでいて、わたしはほんとうによく、毎日いろんな気づきをしてるなあと思ったんだ。

一日一日が大切だなと、ウソじゃなく、そう思ったの。

じぶんの実感がなにより一番大事。

いつでも、どんな嵐でも、たったひとつ、帰って来られるHOMEは、わたしのなかだから。

そして、できたらじぶんを救うことで、だれかも力になってくれたらいい。

わたしは書くことで、じぶんと世界との壁を溶かしていきたいんだ。

わたしにとって、こうやってnoteを書くことは、名もなき闘いへの挑戦なの。


追伸

写真は、今日起きて、ふとんのなかで食べたたい焼き。なんかかわいかったので。

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