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職務経歴書

Fラン大学を卒業後、やりたいことも特になく三交代制の工場に就職。
その会社を選んだ理由が夜勤手当がつくこと。
同じ時間働くなら時間給が高い方が良い。
そんな価値観でした。
バイトの延長線上としか考えていなかった。
就職氷河期だったため、きつい仕事以外就職が決まらなかったというのもある。

工場で学んだことは、職人の大人とうまくコミュニケーションをとること。
見て学べ。
そんな時代の大人たちの中でもまれたことが良かった。
見てなんて学んでいたら、いつまでも仕事ができない。
なので、聞きまくった。
教えてもらった代わりに、先輩たちがすべき仕事準備を手伝い教えてもらう時間を作った。
その当時は、無意識の行動だったが、どうやら正解だった。

3年後工場をやめた。
当時の給料に不満ではなかったが、年間の昇給額が5,000円。
このままこの会社にいても、10年後5万円昇給しているだけだと思い始めた。
また、あまりにも仕事しない先輩がいて失望もした。
そんな人が自分より給料を多くもらっている現実に嫌気がさした。
そして、辞めることを決した出来事が起きた。
大手メーカーの下請けだったが、そのメーカーが倒産。
受注数は減少し連鎖倒産の危機に面していた。
それがトリガーとなった。

そこそこ貯金はあったし、失業保険をもらいながら1年間遊んだ。
遊んだといっても友達が飲食店をオープンしたので無償で手伝った。
その間にホームヘルパーの資格も取得した。
失業保険をもらうには何らかの就職活動が必要で、資格取得も活動とみなされたからだ。

1年後ホームヘルパーの資格を取得。
介護の仕事に就いた。
オープン前のリハビリ病院。
未経験なのにオープニングスタッフとして準備から携わった。
看護師ホームヘルパー。
資格の差を実感した。
人間関係もドロドロしていて居心地がよくなかった。
なので、きっちりと定時で帰った。
残業が当たり前の文化の中、誰にも何も言わせないで定時で帰るキャラクターを演じた。
定時で帰るので、時間ができた。
その時インターネットと出会い、そしてアフィリエイトを始めた。
blogがブームになる前で、まだYahoo!検索がディレクトリ型の時だ。
サイトを作成して、Google検索の上位表示をさせるか、Yahoo!にサイトを申請してカテゴリー登録をしてもらうかでアクセスを集める時代だ。
アフィリエイトを始めて3か月目には月10万円の報酬を発生させた。
ネットで稼ぐのって簡単と正直思った。
検索以外からアクセスを集められないかと考え、Yahoo!掲示板にURL掲載して報酬を発生させていた。
でもそれは規約違反だったらしく、無料レンタルサーバーを利用していたのでアカウントが停止になった。
ネットの厳しさを思い知らされた。
その後、Yahoo!も検索型に代わり、SEO対策が主流となった。
検索からアクセスを呼びアドセンスをクリックしてもらう形で月30万円を稼げるようになった。
しかし、またネットの厳しさを思い知らされる。
アドセンスをクリックさせるためにファーストビューに表示させたり、記事になじませるように表示させたりしたりしてとあの手この手で広告をクリックさせた。
だがコンテンツ内容が薄かったのでアカウント停止となった。
この鼬ごっこを2年ほど続けた。
アドセンスはもう嫌だとなり、本格的にアフィリエイトを始めた。
車の無料査定で月20万くらい稼げるようになったこと、Yahoo!検索がGoogle検索のシステムを利用することとなり、ほぼ同じ検索結果が反映させれるようになった。
そのおかげでアフィリエイトで1月~5月までは月100万円を稼げるようになった。
2年間車の査定のサイトは1位をキープしてくれて年間800~1,000万を稼でくれた。

介護の仕事も3年で辞めた。
アドセンスで鼬ごっこをしている時だ。
辞めた理由は親戚のお兄ちゃんに誘われたから。
DVD企画・制作・販売をしている会社だ。
その会社の3人目の社員で入社。
そこでWEBマーケティングに関わることになった。
コピーライティング、LP制作、広告運用、メルマガ配信、郵送DM、FAXDM、同梱チラシ作成、撮影企画、編集などありとあらゆることを一人で行った。
商品の出荷作業も行った。
そんな忙しい中でも、会社での業務が終わると、家に帰ってアフィリエイトサイトを作成する毎日。
インプットよりアウトプットばかりしていた。
もともと、直感でとりあえずやってみるスタイルなので、インプットはそれほどしてこなかった。
ただひたすら経験値を積むことだけをしていた。
もっとインプットとアウトプットのバランスをとっていればと今更思う。
専門家にはなれなかったが、業務の流れをすべて把握できるマルチプレーヤーのレベルには達した。

DVD制作会社に就職したときの年商は数千万。
1年後には億を超え
2年後には3億まで成長。
その後5億まで年商は伸びたがそこでピタッと止まった。
そんな時新規事業が立ちあがった。
サプリメントの販売だ。
そこから本質的なマーケティングを学んで実践し今日まで至る。
そんな会社もおかげで年商は70億を超えるまで成長をした。
なにも考えず、ただひたすら実行をしてきた20代~30代。
40代の時からようやくインプット量を増やすことができるようになった。
そこで、インプットしたことを忘れないようにすぐにアウトプットしようとSNSやnoteを利用して記録しようと思った。
単なる備忘録だけど、誰かに読まれていると思うと継続しなければと思える環境を整えてみた。
ぜひ、温かい目でお付き合いください。

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