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診断をもらうということ

「加配をつけるから診断書もらってきてください」

「通級の指導が必要だから、医師に診断してもらってください」

これ、私の地域では学校や園から
言われることばです。

ずいぶん発達特性に理解が広まり
医師や心理職による意見書で
手続きが進むところもあるようですが

いまだに 医師による診断書
が求められます。



そもそも診断って

「この子は診断が出る子だと思いますか」
学校の先生から聞かれました。

診断は、その子の特性に対してでるもの
ではなくて

その子の特性と過ごす環境により
困り感があるときに出るものです。

特性があっても、誰も困っていなければ
診断は出ません。
診断をもらう必要もありません。


保護者にとって診断の意味

学校や園の先生は、軽く言います。

「診断書を持ってきてください」
「そうでないと支援ができません」

保護者にとって、
診断をもらうとか、手帳をもらうとか
ということは、とても大変なことです。

その子の特性や障害を受け入れる
ということだからです。

すんなり受け入れる保護者もいれば
なかなか受け入れられない保護者もいます。

それは、これまで生きてきた中での
体験が違うので、違いが出てくるのだと
思います。

なので、声を大にして言いたい。
学校や園の先生方!
簡単に診断を取って来いと言わないで。


受け入れられるには時期がある

こんな風にも言われます。

「いつまでもオブラートに包んだように
言うからダメなんだ」
「はっきりお子さんに障害がありますと
伝えないといけないのでは」


私は台湾茶芸が好きなので
お茶に例えてお話します。

お茶を入れるとき
茶杯にお茶を入れます。
相手が手に取って飲む様子を眺めます。
お話をしながら
もっと飲みたそうならお茶を注ぎます。

「障害があります」
「はやく受け入れなさいよ」
とばかりに外部の人が伝えるということは

お茶の入った茶杯を
その人の口元に持って行って
「のめのめ!」「はやく!」
と言っているようなものです。

当然、無理やり飲まされたお茶は
吐き出すし、やけどをするかもしれません。
受け入れるどころではなくなります。

保護者は、頭ではわかっています。

自分の前に置かれたお茶を
認識しています。

受け入れるということは
自分の意志で飲んでみようと思わないと
ダメなんです。


早くこどものためになることを
してあげた方が~

という温かい気持ちから
先生方はおっしゃるのだとは思います。


私は、保護者の伴走者として
一緒に走りながら
時に先生方のご意見に
腹立たしく思うこともあります(笑)

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