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落雷の跡に咲いたばら

いつか京都音楽博覧会に家族で行けたらいいな。
漠然とした夢を持っていた。

子どもがもう少し大きくなったら実現できるかな、ぐらいふんわりとした願いだったはずが、なぜか突然思い立って、幼子ふたりを連れて京都に行くことを決めた。何かに突き動かされているような感覚で“会いに行かねば”と思った。

いったい誰に?

くるりに? フジファブリックに?
わからないけれど、ずっと会いたかった誰かがそこで待っているような気がして。

いつかじゃなくて今行かなきゃと、見えない何かに背中を押された。


プロローグ〜失われた15年の時間

2024年、7月3日。
フジファブリックからの大切なお知らせ。

この度フジファブリックは、2025年2月をもちまして、活動を休止させていただく事となりました。

気軽な気持ちでクリックして、胸がキュッとなった。フジファブリックが大好きな友人たちは、一体どんな気持ちでこれを読んだのだろうかーー。

同時にあれから15年も経つことに驚いた。

もうフジファブリックを観ることができなくなるかもしれない。8月4日に東京ガーデンシアターでデビュー20周年記念ライブが行われることを知って、行くべきか物凄く迷ったけれど、一歩を踏み出すことはできなかった。

それでもフジが出演する10月の京都音楽博覧会に家族で初参戦することを決めてから、もしかしたらフジファブリックが好きな友人に会えるんじゃないかと思って久しぶりに連絡を入れてみた。

現地で再会できることになっただけで嬉しさ倍増だったけれど、ひょんなことから友人と、音博に向けてフジとくるりのオススメを教え合うことになった。今思えば、これも何かに導かれた運命だったのだろうか。

某アーティストのライブを通じて仲良くなり、かれこれ14、5年ぐらいの付き合いの中で一緒にライブに行ったりはしていたものの、フジファブリックについて話したことは一度もなかったのではないだろうか。

そんな彼女が考えに考え抜いてくれた愛があふれる選曲に、この15年間、どれだけ彼女がフジファブリックを大切に聴き込んできたか、長きに渡って慈しんできた気持ちを垣間見て、胸を打たれるものがあった。

自分の好きな曲から始まり、メンバー別の作詞作曲のオススメセレクト(多才なフジならではの素敵な紹介の仕方!)、縁が深いくるり先輩との思い出エピソード、音博での予想セトリまで。

自分は志村の姿を見ることが叶わなかったこと(初ライブ数日前の訃報だった)。バンドの絶対的存在を失い、続けることが茨の道とわかっていてもバンド活動継続を選んで進んできた3人に愛着があること。この十数年が、フジフジ富士Qでの山内総一郎Vo.の泣きそうな『会いに』から始まった特別なものであったことを聞かせてくれた。

気軽な気持ちでオススメを聞いてしまったけれど、これは心して向き合わねばと背筋が伸びる思いがした。
そんな友人の思いを受けて、失われた時間と対峙するべく、15年ぶりにフジファブリックに向き合う覚悟を決めた。

志村正彦とロックンロール

まさか自分が志村正彦について、フジファブリックについて、こんな風に思いを寄せて文章を書く日が来るとは思わなかった。

自分は特段にフジを追いかけてきたわけでもない、人並みにフジの音楽を好きで聴いてきたごく普通の同世代ファンの一人でしかない。

私にとってのフジファブリックは、志村正彦の人生最期のライブとなってしまった2009年12月13日の三大博物館に行ったこと、志村曾に参列したこと、そして志村楽曲が収録された最後のアルバム『MUSIC』を手にして時が止まったまま……。

志村の声が好きだった私は、どうしても新生フジと向き合うことができなかった。

忘れもしない。2009年、12月25日。

訃報はライブハウスで知った。一緒にいた会社の同僚は大のフジファブリックファンだったのであまりに突然のことに言葉を失っていた。

好きになって日が浅い私ですら、つい数日前にライブで見たフロントマンがこの世を去ったという事実がどうしても受け止められなかった。

舞台の上で、「シムシム~♪」と仲良しなTRICERATOPSのVo.和田唱のモノマネをして、楽屋エピソードを楽しげに披露してくれた志村の姿は、死のイメージとはあまりにかけ離れていた。

あの日、訃報を受けた岸田繁が某所で志村正彦に捧げる、と弾き語りで歌った『ロックンロール』は一生忘れられない。泣き声みたいなギターの音と怒りと悲しみに満ちた岸田繁の残像が今も記憶に残っている……。

裸足のままでゆく 何も見えなくなる
振り返ることなく 天国のドア叩く

たった一かけらの勇気があれば
ほんとうのやさしさがあれば
あなたを思う本当の心があれば
僕はすべてを失えるんだ

『ロックンロール』

この歌の意味に気づかされて、『ロックンロール』で初めて泣いた。

志村會〜埋まらない喪失感

年が明けて、訃報を一緒に聞いた同僚とフジが好きな彼女の友人たちと1月21日の志村會で献花をしても、何だか遠くから映画のワンシーンを観ているようで、志村の死が現実のものとは思えなかった。

献花台の前で『茜色の夕日』が哀しく響いていたことだけは覚えている。

私の周りにはフジファブリックと志村正彦を愛する仲間がいたにもかかわらず、あの日からフジファブリックの話をすることはなくなった。皆がどんなふうに新生フジを受け止め、この15年を過ごしてきたか、私は何も知らない。

志村がいなくなった現実と向き合えないまま、フジファブリックを愛するすべての人にとって大切なライブになったであろう2010年7月17日のフジフジ富士Qにも行かなかった。

なぜだか自分が行ってはいけない場所のような気がして。志村の29年の短い人生に思いを馳せると、感情が持っていかれそうで怖かったのかもしれない。

志村正彦とはいったいどんな人間だったのか。
志村の本を読んだり楽曲を聴いても喪失感は埋まらず、もうこれ以上は志村の死について考えるのはやめようと決めて、新生フジとは自然と距離を置いていた。
私にとっては志村正彦がフジファブリックのすべてだったから。

国道4号線とフジファブリック

それから数年が経ち、当時月間350km走り込んで本気で国際ランナーを目指すぐらいフルマラソンに人生をかけていた私は、ランニングで夜の街を走るたびにフジファブリックの音楽を聴き続けていた。

志村の歌を聴くと、今でも東京の街を走る自分の呼吸や鼓動、何千マイルも走った国道4号線のアスファルトの硬さを思い出すぐらい、フジファブリックは私のランニングのテーマ曲となっていた。

中でも4thアルバム『CHRONICLE』は夜の東京の街を走るのにピッタリで、レースに向けた苦しい練習の中で、志村の「全力で走れ 全力で走れ」に何度も奮い立たされた。

日常的に楽曲を聴き込むぐらいにはずっとフジが好きだったけれど、それはすべて志村正彦のいる過去のフジファブリックだった。

強烈な輝きを放つフロントマン

正直に言うと、私は5thアルバム『MUSIC』を聴いて、山内総一郎のヴォーカルをどうしても受け入れられず、それ以降のフジに背を向けてしまった。

今思うとかなり失礼な話だけれども、志村の不安定な声が好きだったから、志村の唄を他の誰かが綺麗に歌い上げるのを聴きたくなかったのかもしれない……。

でも、自分の知らない“その後のフジファブリック”の15年を覗かせてもらい、私なんかが言うのもおこがましいけれど、山内総一郎という歌い手の才能の開花に、雷に打たれたような衝撃を受けた。

私があのとき背を向けた彼と本当に同一人物なのかと自分の目も耳も疑うぐらい、15年ぶりに対峙したフロントマン山内総一郎は強烈な輝きを放っていた。

この10年以上、自分は本当に意識的にフジを避けていたようで、聴く歌聴く歌知らない曲ばかりで、感動の連続だった。

七色の音を鳴らす日本屈指のギタリスト山内総一郎。

ギタリストとして素晴らしいのは言わずもがな、伸びやかで包み込むような優しさと、芯の強さを併せ持つ歌声に天性のものを感じる。

歌い手として凄まじいほどの才能の開花、壮絶な覚悟でフジファブリックを続けてきたことの尊さに、この15年どれだけの想いを背負って、幾重もの困難と葛藤を乗り越えてきたのだろうと、関係ない私まで涙が出た。

志村にとって最初で最期となった富士吉田市民会館での凱旋ライブの『茜色の夕日』は、鬼気迫るものがあって今も涙なしには見られないけれど、志村の隣で控えめに佇んでいた華奢な青年がこの後15年バンドを引っ張っていく偉大なフロントマンへ成長していく歴史を知った今、違う意味で感慨深いものがある。

奥田民生と斉藤和義との『若者のすべて』を観て、もうこの唄は志村からのバトンを受けた山内総一郎の歌になっているのだなと感じた。

志村の文学的で変幻自在な楽曲とは全然違う魅力だけれど、今のフジファブリックの根幹はすでに彼なんだと気づかされた。

ずっと好きでいることは誰にでもできることじゃない

15年間の軌跡を追って振れ幅の大きい多彩な曲の数々を聴いてみて、フジファブリックはもっと高く評価されるべきバンドだと強く思う。

自分は15年も背を向けていたくせにどの口が言ってるんだという話だけれど。

私のように志村の不在をキッカケに何となく離れてしまったファンも実は多いのではないだろうか。
私は自分の失った15年の大きさに今さらながら驚いている。

志村が亡くなってから15年の日々を喪失から逃げずに闘ってきたメンバーは本当に偉大だ。

それと同時に、そんなメンバーと一緒に幾重の困難と葛藤を乗り越えながら、ともに歩んできたフジファブリックファンにも尊敬の念を抱いてやまない。

ずっと変わらずに好きでいることは本当に凄いことだと思う。
ましてやソングライターであり、ギターヴォーカルを失ったバンドを、だ。
ファンだって一筋縄じゃいかないし、誰にでもできることじゃない。
少なくとも私にはできなかった。

変わらぬ思いで彼らを後押ししてきたファンの15年にも最大級の拍手を贈りたい。

リアルタイムで追いかけてきた人にしか感じられないものがたくさんあったことでしょう。

彼らを追いかけてきた特別な15年を、フジファブリックが大好きな友人を通して、勝手に私も共有させてもらったような心持ちで京都へと向かった。

再び出逢い直したフジファブリック

2024年、10月13日。京都音楽博覧会当日。

10年以上ぶりに見たフジファブリックは、伸びやかで美しい音色と心地よいリズムで梅小路公園を一瞬にして包み込んだ。

山内総一郎、加藤慎一、そして金澤ダイスケのフジファブリックへの愛を、音楽への愛を、これでもかというほど感じ、愛にあふれる美しい時間に心震えた。

これが悲しみの先にある希望というものを音楽で体現してきたバンドなのかーー。

燃えるような夕陽に照らされた3人の姿は遠くから見ても神々しかった。彼らが繋いで来た15年への畏敬の念がそう感じさせたのかもしれない。

大トリはもちろん主催のくるり。
ライブ中盤、代表作『ばらの花』の後、もう一つの“ばらの歌”が聴こえてきた。
叙情的なイントロから、岸田繁の声が空に響き渡る。

ブレーメン 外は青い空
落雷の跡にばらが咲き
散り散りになった人は皆
ぜんまいを巻いて歌い出す

そのメロディーは街の灯りを
大粒の雨に変えてゆく
少年の故郷の歌 ブレーメン君が遺した歌

楽隊のメロディー 照らす街の灯
夕暮れの影をかき消して
渡り鳥 少年の故郷目指して飛んでゆけ

『ブレーメン』

まるでフジファブリックのことを歌っているのかと思ってハッとさせられた。

再びフジの15年に思いを馳せる。

君が遺した歌も、“落雷の跡に咲いたばら”が紡いできた歌も、大切に聴いていきたいと改めて思う。

音博に行くことを決めなかったら、人生においてフジファブリックとこんな風に真剣に向き合う機会もなかったし、いろんな気づきもなかっただろう。

友人のフジを大切に思う気持ちが、彼らともう一度出逢い直させてくれたのかもしれない。

失われた15年の日々を取り戻すことはできなくても、私の人生にもう一度フジファブリックの音楽が鳴り始めたのは彼女のおかげだ。

私がずっと気づけなかった“落雷の跡に咲いたばら”に出逢わせてくれてありがとう。
心の底から感謝したい。

4人で切り拓いてきた変幻自在で奇天烈なフジファブリックも、喪失と再生の物語を超えて、3人が大切に紡いできた“その後のフジファブリック”も、どちらも大好きになりました。

本当に、最高にいいバンド。

11月10日のフジファブリック20th anniversary 3マンSPECIAL LIVE「ノンフィクション」で一緒に20周年を祝ってくれたアジカン・後藤正文や岸田繁の愛情深いメッセージに、フジファブリックは長きにわたってファンにも仲間にも深く愛され、尊敬され続けているバンドなんだと改めて実感する。

彼らが背負い続けてきたいろんなものから解き放たれた時、さらなる飛躍の時が来ることは間違いない。

どんな形になるかわからないけれど、3人はまた力強い決断をして、前に進んでいくのだろう。私も同世代の一人としてこれからの活躍を応援したい。

フジファブリック20周年おめでとう。志村の想いは、3人が残してきた軌跡とともに今もたくさんの人の心に確実に届き続けています。きっとこれからも。

いつの日か私も志村の故郷・富士吉田を訪れてみたい。失った15年の空白を新たな幸せな思い出で埋めるために。

エピローグ〜フジとくるりと仲間たち

2024年、9月23日。
友人のおかげで人生で初めて、自分の好きなくるりの曲を全身全霊で選んでオススメする、という貴重な経験かつ難題に挑むことになった。

すでに長年くるりを愛聴してきた彼女に今さら私なんかが何をオススメしたらいいのやら……。

悩みながらも、この夏のツアーを経て再発見した曲や私的くるりBEST3(誰もオススメしないライブで聴いたことがない曲ばかり苦笑)を中心に、パンドラの箱を開けてしまったかのごとく、狂ったようにオススメを挙げることに。

そんな有難迷惑かつあまりに長いオススメ解説文に挫けることなく、彼女は律儀に一週間以上かけてすべてを聴いてくれた上でこんなメッセージをくれた。

『聴かせてもらって最初に思ったのが、私はくるりの音楽の表面的な部分にしか触れることが出来ていなかったということ。アルバムや新曲が出ると都度聴いてはいるしと思っていたのですが、いやもう全然…全然このバンドの魅力をわかってなかったです。立ち止まって向き合ってみるとほんと時間が足りないですね』

時間をかけてくるりの音楽と真摯に向き合ってくれて、オススメした一曲一曲へのコメントまで丁寧に返してくれて。

言葉にできない想いが初めて通じ合ったような至上の喜びに胸がいっぱいになった。誰かと自分の大切に思っているものを深い部分で共有できたことが本当に嬉しくて。

何度もやり取りを読み返しては、くるりと音博とフジファブリックが彼女との縁をまた深いものにしてくれたことに感謝したくなった。

京都音楽博覧会という音楽祭を前に、フジとくるりと仲間たちが心ひとつになる前夜祭のような、奇跡的な邂逅だったと今になって思う。

まさかフジとくるりをオススメし合ったことが、自分にとって失われた15年の再発見に繋がるとは……。

きっと長い長い物語になってしまうけれど、“落雷の跡に咲いたばら”に15年越しに出会えた歓びを、金木犀の香りがする季節の物語を、自分の言葉で残しておきたいと思った。

誰かの“好き”という気持ちは、時に物凄いパワーをもって人の心を突き動かすのかもしれない。

フジとくるりと仲間たちのおかげで、前夜祭も含めて一生忘れられない京都音博博覧会になりました。

もしも一つだけ願いが叶うなら、おじさんになった志村正彦と岸田繁が肩を並べる姿を彼女と一緒に見たかったな。

岸田繁氏が投稿してくれた「ノンフィクション」の貴重な打ち上げ写真。アジカンくるり世代にはグッと来る。

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