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『常識』と『普通』の罠(後編)

前編では、『常識』と『社会』の話で
終わってしまったので、続きの後編です。

『普通』は、個人の主観による価値基準。
それを深く掘っていきます。


『普通』は「普(あまね)」かない

言葉の罠ってところで
『普通』も『常識』と同じなんですが

『普通』の「普」って
「全体」とか「広くいきわたる」
って意味なのに

『普通』は、「個人の主観」なんだから
もうこんなん引っ掛けです。


なのに、多くの人がさも
「みんな、こう!」=『普通』
みたいな使い方するから
ややこしくなるのです。


「みんな」じゃないのに
「みんな」みたいに使う
『普通』を信じたら混乱します。


『普通』が「個人の主観」である証明

これに関しては、
僕がバーテンダーだったから
気付けた話なのですが…


愚痴の話には必ず『普通』が使われる

ってことです。


「昨日、彼氏が待ち合わせに30分遅れて
来たんですよ。普通ラインで一言「遅れる」って言うでしょ」
とか

普通、そんなことしない」
普通にありえない」
とかとか

とにもかくにも愚痴を言う時に
『普通』という言葉を使わない人に
会ったことがありません。


誰しも自分が正しいと思いたい

これって結局、愚痴を言う前提として
「自分のほうが正しい」
「私が大多数である」
ということを示したいがために
ほぼ無意識に使っていると思うんです。


でも、改めて
「その普通って、みんなの普通?」
って聞かれて

「うん!!」
って答えられる人はそうそういないし
そう答える奴はもっとヤバい。


さらに会話を進めて
「それって大多数であることで
 なにか解決するの?」
って言ったら、だいたい
解決しない問題ばかりです。
(文章にすると、嫌なバーテンダーだな)


みんな主観で考えて、
自分に都合のいい(もしくは、自分に都合悪いことで相手を悪者にする)
想像をすることが好きなんだと思います。


『普通』って言っておけば
「自分がさも正しく有れるから」


人の弱さゆえの防御術とも言えるから、
それが悪いとも言いがたい話ですが


つまり普通って、思考停止中の
自分都合な見方でしかなくって
ぜんぜん「みんなの意見」じゃないし

そもそも
「みんな」なんて人も存在しません。


ここは、「社会」と同じですね。

結論

『常識』は、あやふやなもので
『普通』は、誰か(または自分)の価値観。


「常(いつの時でも)」に「普く(全て)」
ものであるかのように
使ってたら、本質は見えてきません。


そんなものを他人でも
自分のことでも判断基準にしてたら
何も解決しません。


だって「正しい」も「良し悪し」も
『社会』の『常識』が決めていて

それは、あなたを直接見て
決めているわけではないんですから。


何かを判断するときは
『常識』や『普通』のせいにしないで

あくまで自分だけの基準と自覚して
行動したほうが

誰ともケンカしないし
誰とも比べなくて済むので
楽に生きられます。

「自分に自信がないからムリ」
と思う人もいそうですが、
その話はまた長くなるので
別の機会でしたいと思います。





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