詳細版: 飯塚事件の判決文の矛盾点から見える〈真犯人の可能性〉

ここでは、飯塚事件の判決文を読む中で発見した矛盾点から、これまで巷の冤罪説では語られなかったこの事件の真犯人の姿に迫っていこうと思います。初めに詳細版の方から読むと話の内容が理解しやすいと思います

それでは順に説明していきます。

・この事件の繊維鑑定に関する時系列

平成4年2月20日 事件発生
平成4年2月25日 1回目の鑑定嘱託(かんていしょくたく)が科捜研に出される(目的:微物鑑定)
平成4年9月末頃 クマ氏の車を警察が押収。
平成4年10月15日 2回目の鑑定嘱託が科捜研に出される。(目的:繊維鑑定) 

平成5年11月 (昨年に出された)2回目の鑑定嘱託を受けて科捜研により繊維鑑定が開始される。

平成6年9月23日 久間容疑者逮捕される。

※鑑定嘱託(かんていしょくたく)とは
捜査機関(≒警察)から「鑑識」、「科捜研」、「科警研」と呼ばれる分析の専門機関に鑑定の依頼がされることを言い、これを「鑑定嘱託(かんていしょくたく)」と言います。

・繊維鑑定について

飯塚事件では、被害者の衣服から採取した微細物の鑑定に関する鑑定嘱託が計2回出されているのですが、判決文に載っている繊維鑑定に関する結果は実は全て2回目に行われたもので、1回目の鑑定嘱託の結果の内容などについては判決文には全く掲載されていません。

僕はこの点に気付いた時、ある疑問を持ちました。それについて説明する前に、計2回あった鑑定嘱託の内容について説明します。

・微物鑑定(1回目の鑑定嘱託の内容)

1回目の鑑定嘱託は(事件発生から5日後の)平成4年2月25日に警察から科捜研に出されました。(被害者の衣服などに何が付着してあるかを調べる)というのが目的です。

この時の繊維鑑定を正確には「微物鑑定(びぶつかんてい)」と呼ばれています。(鑑定の目的が繊維やそれ以外の微細物などの発見、分析を行うからです)

※ChatGPTによる微物鑑定の説明

〈微物鑑定とは〉
「警察における微物鑑定は、犯罪捜査で重要な役割を果たす科学的な手法です。主に以下のような目的で使用されます。
・証拠の分析
衣服、物品、現場などから収集された微細な証拠(例えば、繊維、土壌、ガラス片など)を分析して、犯罪現場や容疑者の特定に役立てます。
・犯罪の再現
事件の詳細を再現するために、微細な証拠を分析して、どういった状況で犯罪が起こったかを解明します。
・リンクの特定
犯罪現場と容疑者、または複数の事件の関連性を確認するために、微物の一致を調べます。以上。

微物鑑定は、捜査初動の段階において容疑者を探したり、犯人を特定する為の非常に重要な捜査だと言えます。

今回の飯塚事件では、微物鑑定は事件発生直後の平成4年2月22日に被害者の衣服からリタックシートと呼ばれる粘着テープのような物で採取され、同年2月25日に警察から科捜研に鑑定嘱託されました。

・繊維鑑定(2回目の鑑定嘱託の内容)

2回目の鑑定嘱託は、(クマ氏の車を押収してまもなくの)平成4年10月15日に出されました。こちらの鑑定が飯塚事件の話で良く出て来る「繊維鑑定」です。
内容はクマ氏の車のシート繊維と同じものが被害者の着衣等に付着していないかどうかなどを調べるのが目的です。(平成5年11月から平成6年1月末頃まで繊維鑑定が行われました。)

1回目の微物鑑定と同じリタックシートを用いて鑑定を行った結果、被害者の衣服からクマ氏の車のシートと同じ繊維が数多く発見されました。

※ご存知の方も多いと思いますが、容疑者逮捕の決め手となったのが、(2回目の鑑定嘱託による)繊維鑑定です。

・女児の衣服から採取された繊維の鑑定が、事件発生から1年9ヶ月後になって初めて行われたのは何故か?

次はこの表題をテーマに考察していきます。まずは繊維鑑定に関する時系列を見て下さい。

〈2回目の鑑定嘱託の時系列〉
平成4年2月20日 事件発生
平成4年2月25日 警察は被害者の衣服から繊維などを採取。科捜研に鑑定嘱託が出される。
平成4年9月末頃 クマ氏の車を警察が押収。
平成5年11月  科捜研により繊維鑑定が開始される。

判決文から感じる一番の違和感は「繊維鑑定に取り掛かるまでの時間の遅さ」です。事件発生直後に検体を採取してから、1年9ヶ月以上もの間、繊維鑑定は行われていません。これは非常に不自然だとは思いませんか??

これからこの疑問点についての考察をしていきます。

・警察は、繊維鑑定を行うのに(クマ氏の車の押収を待つ必要)は無かった

実は警察は(事件発生からわずか5日後の)平成4年2月25日にクマ氏の元を訪ねてアリバイなどの任意聴取を行っており、さらに同年3月には犯行現場から「クマ氏の乗る車と同じタイプの車を見た」とする目撃証言が複数出て来ている状況でした。

つまり、事件の起きた1ヶ月後くらいの頃には〈クマ氏を容疑者の候補として考える線が警察の中で少しずつ濃くなってきた〉と推測できます。

さて当時のこの場面において、被害者の衣服から採取した微細物を鑑定に回した後、この事件の捜査員はどのようなことを考えるでしょうか?

普通は(被害者の衣服にクマ氏の車のシート繊維や血痕、毛髪などが付いていないだろうか…)ということについて考えると思います。そもそも微細鑑定を行う理由はそこにあるのですから、まず間違いないと思います。

微物鑑定が進められる中でもし車のシートの繊維と判別できるものが検出されれば、次は〈被害者の衣服から採取した繊維とクマ氏の車と同じシートとを比較分析して何がが一致すれば、これは大きな証拠となるかもしれない〉という方向性で捜査が進められていったと思われます。

幸運な事に今回の事件では、クマ氏の乗る車は車種が特定されており、その上当時は所有する人がかなり少ない希少車だったということもこの時点の捜査で既に警察は把握済みという状況です。

では次に捜査員が取り掛かるのは(各クルマメーカーに問い合わせてクマ氏と同じ車のシート繊維を取り寄せる)ことになりますよね。

因みにクマ氏が同年9月に車を売却するという事は、この時点では警察には予測不可能でしたから、(クマ氏の車の押収を待ってから繊維鑑定を行う)という選択肢は警察の中には考えられない状況でした。

ですので、平成4年の春から夏にかけての頃には〈条件が整えばすぐにでも「被害者の衣服から出た繊維とクマ氏の車と同タイプの車のシート繊維」との比較鑑定を行う〉という段取りが警察にあったということは、ほぼ間違いないと推察出来ます。

にも関わらず、クマ氏の車を押収してから約1年間、(もっと言えば被害者の衣服から検体を採取してから約1年9ヶ月もの間)、繊維鑑定に手を付けなかったのは一体どうしてでしょうか??

・何故か公開されていない「微物鑑定の開始とその結果」

次に判決文には公開されていない微物鑑定の結果について話していきます。

実は1回目の鑑定嘱託による「微物鑑定」が行われた記録や結果の内容など一切ありません。この微物鑑定は当時の警察にとって外すことのできない重要な捜査のひとつだったはずなのですが、これは一体どういうことなのでしょうか?
僕はこの点についてかなりの不自然だと感じました。
次はこの理由について考察していきます。

鑑定結果が提出されなかった理由

理由①
「そもそも微物鑑定が行われなかった。」

理由②
「行われた微物鑑定では、クマ氏の車のシートと同じ繊維が検出されなかった。」

以下にそれぞれの可能性について解説します。

理由①について
(微物鑑定が行われなかった)ということは、その鑑定の目的からしてまずありえないと考えます。

捜査の初動段階の状況下で(微物鑑定に取り掛からない)という判断は、(初期捜査自体を放棄する)と同じくらいの意味を持つ為、微物鑑定が行われなかった、という可能性は除外しても構わないと考えていいでしょう。

理由②について
こちらの可能性は大いにあります。

もし被害者の衣服からクマ氏の車のシートと同じものが検出されていれば、それの結果や経緯などが間違いなく裁判所に報告され、判決文にも掲載されているはずです

しかし判決文にその記載が無いということは、警察が微物鑑定の結果に対して(裁判所に報告する程の価値は無いと判断した)ということになります。

裁判を行うにあたり、警察には(裁判に不必要だと思われる証拠の提出は義務付けされていない)というルールがあります。

以上のことから考えると微物鑑定の結果が公表されていないということは〈クマ氏の車のシート繊維と同じものが被害者の衣服からは検出されなかった、という可能性が非常に高い〉ということに繫がってきます。

もし理由②が正しければ、当時の警察がクマ氏の車を押収後、直ちに繊維鑑定に取り掛からなかったといった判断も理解できます。(つまり平成4年10月の時点で繊維鑑定をする必要性が無かった、ということです。)

・繊維鑑定が約1年9ヶ月もの間行われなかった理由

まず考えられるのが、〈1回目の鑑定嘱託により行われた微物鑑定により採取された証拠品から、クマ氏の車とは別の容疑者が浮かんだ為それを警察はクマ氏とは別に追っていた〉という考えです。

ふたつ目が〈(クマ氏の車を押収する以前から)既にクマ氏の車と同じタイプの車を用いて繊維鑑定が進められていた〉という考えです。その理由は前述した通りですが仮にこれらの捜査や、これとはまた別の捜査が行われていたにせよ、判決文にその捜査の結果が載っていないということは、その捜査が不発に終わったということに変わりはありません。

そういった経緯がある中で、再び繊維鑑定を行う話が警察の中で起こったのではないかと考えられます。以上、繊維鑑定が約1年9ヶ月もの間行われなかった理由を考察しました。

・判決文にある矛盾点

判決文には平成5年11月から行われた繊維鑑定の詳細が書かれております。その内容は(クマ氏の車のシート繊維と被害者の衣服から出た多くの繊維が一致した)というものです。

仮にこの時点(平成5年11月)で微物鑑定が既に行われたという前提で話を進めます。

前述したように1回目の微物鑑定では(恐らく)クマ氏を逮捕に結びつけるような繊維は検出されておりません。しかし2回目の繊維鑑定ではクマ氏の車のシート繊維と同じものが検出された、これは一体どういうことなんでしょうか?

計2回行われた鑑定に使用されたリタックシート(これには事件発生後間に被害者の衣服から採取した何らかの繊維が吸着されている)はいずれも同じものが使用されています。

しかし判決文に1回目の微物鑑定の結果が載っていないことから、2回目の繊維鑑定においてもクマ氏の車と同じシートの繊維が検出されるとは考えられず、判決文の内容に矛盾が生じるということが導き出されるのです。

この矛盾を解決する可能性の一つとして、「警察、鑑識、科捜研、科警研」のいずれかの機関で何らか人為的ミスが起きたのではということが考えられます。(ここで(警察による不正などがあったのでは?)といったような推察をするとすぐに「お前は陰謀論者だ!」という声が上がるので、この場では控えさせ戴きます)

詳しく説明すると、1回目の微物鑑定が終わり2回目の繊維鑑定に至るまでに、何らかの人的ミスが起こり、クマ氏の車のシート繊維と同等のものが検査対象のリタックシートや検体に混入したのではないか、ということです。

もしこのような人的ミスが起きたならば1回目と2回目の鑑定結果の違いも説明が付きます。

つまり同鑑定が行われる平成5年11月までの間に、〈当時どこかの検査機関が管理していたリタックシートにクマ氏の車と同じ車種の繊維が(何かしらの人的ミスにより)混入し、そのミスに誰も気付くことなく、判決文にあるような繊維鑑定が行われた〉という流れで物事を考えると(一応)全ての話の辻褄が合います。

さて、ここまでを読んだ人の中で、(優秀な人ばかりが集まっているイメージの検査機関で、そんな人的ミスが起きるものなのか?)という疑問が湧くと思うので、ChatGPTに聞いてみました。

(ChatGPTの回答)
1 . 千葉県警のDNA鑑定ミス事件(2015年)
 **事件概要**
2015年、千葉県警の科学捜査研究所(科捜研)が行ったDNA鑑定でミスが発覚し、誤った結果が出された事件。このミスにより、別の人物が捜査の対象となり、本来の容疑者が見逃される可能性があったとされています。
**影響**: 鑑定ミスにより、捜査の正確性と信頼性が疑問視され、科捜研のプロセスや手法に対する再評価が行われました。また、DNA鑑定技術自体に対する社会的な信頼も一時的に低下しました。

2. 京都府警の証拠不正操作疑惑(2008年)
**事件概要**: 
京都府警の科捜研が行った鑑定において、証拠の取り扱いに不正があった疑惑が持ち上がりました。特に、証拠品の保管方法や取り扱いに問題があったとされ、捜査結果に影響を与える可能性が指摘されました。
**影響**: 科捜研の信頼性が大きく揺らぎ、内部調査が行われた結果、一部の手順の見直しや再発防止策が取られることになりました。

3. 科捜研のデータ偽造事件(1980年代)
**事件概要**: 
科学捜査研究所の一部の職員が、提出された証拠データを不正に改ざんしたことが明らかになった事件。特定の事件で有利な結果を得るために、データが意図的に操作され、鑑定結果が歪められました。

**影響**: この事件は、科学捜査の信頼性に深刻な影響を与え、鑑定プロセスの透明性と正確性が強く求められるようになりました。以上です。

ChatGPTの回答によると、各検査機関でのミスによる事件がこの最近でも起こっていることが判りました。つまり1990年代に起きた飯塚事件においても、このような人的ミスにより鑑定結果に不確かな結果が出てしまった可能性もあるということが理解できると思います。(そしてその様な状況下の中でクマ氏は逮捕され、そして遂には死刑判決にまで至ったということになります)

・1回目の微物鑑定の結果をさらに深堀りする

前にも書きましたが1回目の微物鑑定に於いては、その鑑定の結果内容が判決文には書かれていないため、それらのことは想像するしかないのですが、間違いなく言えることは(もし1回目の微物鑑定が行われていたとしたら、被害者の衣服からはクマ氏の車のシート繊維と同じものが付着していなかった)ということです。(理由は先に述べました)

では、それが何を意味するのかと言うと「被害者はクマ氏以外の車に乗せられていた」、つまり、「クマ氏とは別の容疑者の存在」の可能性が考えられる、ということです。

そして、もしそうであれば被害者を殺害にまで至らしめた実行犯もクマ氏以外の共犯者が行った可能性も出てきます。仮にクマ氏が被害者の女児2人を自分の車で連れ去った場合でも、(その後殺害を実行したのは別の共犯者という可能性)、(死体を山に遺棄したのはその共犯者で、ランドセルを別の場所に遺棄したのはクマ氏だった)、という仮説も考えられます。
クマ氏の車に残されていた血痕及び尿痕については、別の共犯者が暴行を加えた後に使用したタオルなどをクマ氏の車に置いた際に付着したとも考えられます。更にはクマ氏はその共犯者に車を貸しただけで自分は犯罪には関わっていないという可能性も出て来ます。

但し、もしこのような場合、クマ氏が共犯者のことを供述で一切話していないのは非常に不可解だという点も述べさせて戴きます。

・その他の判決文の矛盾を解消する考え方。

それは、(1回目の微物鑑定で何らかの人的ミスが発生し、クマ氏の車と断定できる証拠が得られなかった。しかし次に行われた繊維鑑定ではミスが起こらずにクマ氏の車のシートと同じものがリタックシートから検出された)というものです。

このケースだと判決文の内容に矛盾が起きません。

以上、繊維鑑定や微物鑑定、判決文の矛盾点などについて色々と考察してみました。

しかしとにかく、捜査の初動段階に出された(微物鑑定」の結果が判決文に載っていないこと)(すぐに行われるべき繊維鑑定が、検体を採取してから約1年9ヶ月後に行われたこと)の2点の不自然さにより多くの仮説がたてられましたが、これらの話をまとめると、〈微物鑑定の結果の内容が公表されてない以上、その鑑定結果からはクマ氏の車のシート繊維と同等と言えるものが検出されなかった可能性が非常に高い〉と言うことを結論として述べたいです。

そしてその結論からら〈被害者達は犯行時クマ氏の車に乗っていなかった可能性や、他の容疑者の車に乗せられていた可能性〉も浮かび上がって来ました。

また〈各検査機関での人的ミスの発生の可能性〉も過去の事例数の多さから否定できないことを考慮すると、繊維鑑定に関する鑑定結果自体の信憑性も、もっと時間を掛けて慎重に精査されるべきものだったということも解りました。

以上のことから、クマ氏の有罪判決及び死刑の執行についてはまだまだ早計だったのではないか、と今の段階では考えております。

以上です。

これらの考察を支えているのは、
「非常に重要なはずの微物鑑定の内容が判決文に明記されていない」
・「検体を採取後、すぐに行われるべき繊維鑑定が検体を採取してから約1年9ヶ月後に行われた」
という2点です。つまりこの2点についての納得のいく理由が判明すれば、これらの考察はすべてその意味を失くしますので、僕の飯塚事件の繊維鑑定を巡る旅も終わります。

もしこれらの考察内容で何かの間違いや矛盾点などありましたら、是非是非教えて戴ければ幸いです(その都度、修正や加筆、もしくは爆破などをして正しい情報にしていく所存です。)

ここまで読んで頂きありがとう御座いました。






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