ロックとの出会いから今までの話
こんにちは、パンクロッカーの井下斗和です。
今日はスクーリングの最終日でした。とてもたくさんの人と出会い、濃い4日間になりました。
さて、今日は自分のロックとの出会いから今までの話をしようと思います。
幼少期
私の両親がバンドを組んでいて、幼い頃からスピッツ、ビートルズ、ラモーンズなど、さまざまな音楽に触れる機会がありました。
小学4年生
ブルーハーツを聴いたとき、体中がしびれるような衝撃を受けました。そこからパンクの世界にのめり込みました。RCサクセションやフラワーカンパニーズ、ピーズなど、さまざまなバンドを聴き漁りました。
初舞台
小学4年生の後半には、両親のバンド『シャボーンズ』でブルーハーツの『青空』を初披露しました。自分の今のパフォーマンスはこのときに作られました。
ライブ活動
その後もコロナ禍になる前まで、時々ライブに出させてもらっていました。しかし、コロナ禍で中学2年生までライブには出られませんでした。
中2の冬
甲府の方の知り合いに誘われて、久しぶりにライブに出ることに。そこで、自分が今でも一番最後に歌う曲、フラワーカンパニーズの『深夜高速』を初披露しました。
中3
ギターのケイチャンと共に『レトロジャーニー』を結成。楽笑パレードというイベントでバンド初ライブをしました。もちろん『深夜高速』も歌いました。
高校1年生
軽音に入り、軽音スペシャリストの室井先生に出会いました。室井先生のもとでたくさんのことを学びました(音楽分析や様々なライブに連れてってもらったりなど)。また、自分が一番すごいと思っている高校生ミュージシャン、KARENともその時出会いました。しかし、その高校を半年で辞め、次のステップのためにゼロ高等学院に入学しました。
高校1年生の秋
アツキが『レトロジャーニー』のベースとして加入しました。彼のベースプレイはバンドに新しい風をもたらしてくれて、とても刺激的でした。
ゼロ高等学院
ゼロ高等学院の生徒はHIUという堀江貴文さんのオンラインサロンにフルアクセスでき、そこで毎月『輪道開珍』というライブイベントを主催することになりました。そこにはKARENなど、今まで出会ってきたミュージシャンに出演してもらっています。
最新の出会い
今回のスクーリングで、パンク好きの高校生に出会い、『レトロジャーニー』のドラムに入ってもらおうと考えています。
これが大まかな自分のロックとの出会いから今までの人生です。
明日からも、いろんなことに挑戦していきます!
井下斗和でした。
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