こまちとの出会い第3話
パンクロッカーの井下斗和です!
今日はゼロ高等学院のイベント「クリエイティブ展」が浅草で開催されました。自分はオリジナル曲を流したり、チケットの販売を担当しましたが、台風の影響でお客さんも少なく、チケットは一枚も売れませんでした。それでも、「輪道開珍」の宣伝ができたこと、そして「輪道開珍」のイメージ絵画を描いてくれたPoNKくんの絵を購入できたことが嬉しかったです。
さて、本題に入りましょう。「こまちとの出会い第3話」です。前回はゴミ拾いとこまちとの関わりについて触れましたが、今回は「劇団こまち(仮)」についてお話ししたいと思います。
私が劇団こまちに入団したのは、中学3年生の夏のことでした。この劇団は、こまちに来ていたsさんという方と、こまちのスタッフのあむくんが立ち上げたものでした。sさんがあむくんに劇団を作りたいという熱意を語り、あむくんのスイッチが入り、劇団こまち(仮)が誕生しました。私はこの出来事を直接知らないので、自分が体験したことをお話しします。
劇団こまちには、後にバンド「レトロジャーニー」のベーシストとなるあつきがいました。彼とは小学校も同じだったのですが、彼は私の存在をすっかり忘れていました。こまちの代表とも同じパターンですね。劇団こまちの体験に行ったとき、久しぶりに彼と再会しました。昔からオーラがありましたが、中学生になってさらにそのオーラが増していました。
その体験の日、みんなで即興劇(エチュード)をやりました。それが本当に楽しくて、それがきっかけで劇団に入ることを決めました。あつきを筆頭に、個性豊かなメンバーが揃っていて、最高の場所だと感じました。
そこから毎週のように劇団こまちでのレッスンが始まりました。毎回、みんなでふざけまくるのが恒例でしたが、私が一番カオスな状態を作り出していたのは確かです。「ふざけないとやってられないぜ」という感じでした。
そんなふざけた雰囲気の中、半年ちょっとが過ぎたころ、劇団こまちの公演をやろうという話が持ち上がりました。しかも、私とあつきが主役で。しかし、最初はみんなが乗り気ではなく、私も本腰を入れて公演に向かう感じではありませんでした。でも、練習を重ねていくうちに、だんだんと楽しくなってきました。家でも練習して、本番に臨むようになり、第1回の公演は自分の中では結構良い出来だったのではないかと思います。
公演が終わった後も、劇団こまちらしい日々が続きました。
そうしてまた月日が流れ、2回目の公演が近づいていました。私が高校1年生の終わりごろです。この時期はもうライブ活動をバンバンやり始めていた頃です。そんな中で、公演に対してすごく緊張しました。一瞬頭が真っ白になったし、言い間違いも激しかった。自分の中では失敗に終わった苦い思い出です。
そんな公演の前に、大きな事件が起こりました。演劇の団長が、急遽出演できなくなり、劇に出られなくなってしまったのです。他にも本当は出たくなかったというような人も出てきて問題が山積み状態になり、話し合いが続きました。その時は、どうなることやらという感じでした。そして、劇団内でも亀裂が生じ始めました。それでも、なんとか気持ちを切り替えて、みんなで劇をやり遂げました。その後は、みんなでしっかりと仲直りもできたように思います。
しかし、その公演が終わったあと、ほぼ全員が劇団を辞めることになりました。みんなそれぞれの進路に向けて頑張っていこうという形で、私たちはハイパースペシャルOBという立場になりました。今後、新しいメンバーで劇団が復活するかもしれないし、しないかもしれない。それはまだわかりませんが、またあのメンバーで集まってエチュードをやりたいなと思います。
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