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軽音楽部で学んだこと

パンクロッカーの井下斗和です

今日はお盆で実家に帰って4日目、最終日でした。『茨城県自然博物館』にいとこと行ってきました。母親の弟がそこで展示している『羊歯展』を見るために行ったのですが、羊歯について知れば知るほど、興味深く面白かったです。展示のボリュームがありすぎて、1日じゃとても見切れないほどでした。夕方からはKARENとライブの練習をしました。本番が明後日なので、全力で頑張ります!

それでは本題に入ります。今日は『軽音楽部で学んだこと』についてです。

私は、ゼロ高等学院に入る前、世田谷総合高校に在籍していました。高校に入る前から、部活は何に入るか決めていました。根っからのパンクロッカーだったので、当然軽音楽部です。しかし、実際に入部したときは、結構軽いノリで入りました。

そこで出会ったのが、日本一の軽音楽部の先生、室井先生でした。同じ年に、室井先生は武蔵ヶ丘高校から世田谷総合高校に移ってきたのです。その当時、私は室井先生のことも、軽音楽部の真剣さも全く知らず、ゆるい感じだと思っていたのですが、それは大きな誤解でした。室井先生が顧問になったことで、軽音楽部の体制が大きく変わり、厳しくなりました。それに不満を持った生徒や、ゆるい感じが良かった人たちは、次々に辞めていきました。

そんな中で、自己紹介のときに私は「世界を変える男、井下斗和です。パンクロッカーをやっています」と、やたらでかい声で言ったんです。そのせいで、気持ち悪くなって部屋を出た生徒もいました(笑)。でも、室井先生がRCサクセションが大好きだということを知り、一気に親近感が湧きました。

そこからは、室井先生に導かれて、いろんな面白いバンドが集まる高校に出向き、合同ライブを見に行く機会が増えました。そこで多くの学びや発見があり、すごく楽しかったことを思い出します。部活では、生徒に設営や照明など、様々な役割を任せる場面があり、毎日が新たな発見と学びの連続でした。室井先生はときに厳しく、ときに優しく、生徒に対して全力で接してくれる、そんな存在でした。本当にこの先生について行きたいと思わせる人物でした。

その室井先生に、「エコルマホールで大きな音楽イベントをやりたい」と提案したことがあります。すると、先生は「何十段もステップを飛ばし過ぎなんじゃないか」と言われました。確かにその通りだと思いましたが、どうしてもやりたいという気持ちは変わりませんでした。その気持ちを持ったままゼロ高等学院に入り、ライブハウスの素晴らしさを再確認することになり、『輪道開珍』を毎月開催しています。

合同ライブに参加することは叶いませんでしたが、室井先生やKARENをはじめとする軽音楽部のみんなから、多くのことを学ばせてもらいました。その経験が今の自分に繋がっています。室井先生への感謝の気持ちを胸に、新しい自分の音楽を磨き続けていきたいと思います。

この半年間、本当に最高の思い出をありがとうございました。

井下斗和でした。

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