夢
世界を変える男井下斗和です!
昨日はHIU(堀江貴文イノベーション大学校)の新歓がありました。実は、これで新歓に参加するのは10回目。毎月足を運んでいるわけですが、そこでの出会いは本当に一生ものだと思います。その後に訪れる別れも、自分にとって大きな学びの一つです。これからもこの新歓の場を通して成長し続け、毎月の新たな出会いを楽しみにしています。毎月この素晴らしい会をありがとうございます。
そして、令和の虎に出演していた岩井社長の訃報はとてもショックでした。一度お会いしてみたかったし、その機会を得られなかったことが本当に残念です。ご冥福を心からお祈り申し上げます。
さて、本題です。「夢」について話をします。
私は子どもの頃から「夢」というものが無限に広がっていると感じてきました。しかし、学校の先生から「夢は一つに絞れ」と言われることが多く、それに強く反発してきました。「なんで夢は一つだけじゃなきゃいけないんだ?」と疑問に思い続けた私は、あるとき先生に向かってこう言ったんです。「夢は無限です」って。すると、先生は笑って取り合ってくれませんでした。まるで、夢をたくさん持つことが悪いかのように。でも、私はそんな考え方に納得できなかったし、今もそう思っています。夢は無限であっていいし、むしろ、たくさんの夢を追いかけることこそが人間らしさじゃないかと感じています。
でも、今の時代、夢を語るのが恥ずかしいと思う人が多い気がします。それは、インターネットやAIの発達で学びが多様化している一方で、選択肢が多すぎて逆に何を選べばいいかわからなくなっているからじゃないかと思います。そんな中で、大きな夢を持つ人が減っているのは、夢を追うこと自体が難しく感じられているからかもしれません。
昔は子どもたちが道路で遊んでいました。私の祖父母の世代は、モータリゼーションが始まる前、みんなが道路で遊んでいたんです。何もないところから遊びを生み出し、そこから学んでいく。遊びの中で自然と夢に向かう道が見えてきたんじゃないかと思います。それが、モータリゼーションによって車が道路を占領し、子どもたちが遊ぶ場所がなくなってしまった。遊びの中で発見されていたはずの「夢」も、どんどん遠ざかっていったんです。
子どもたちが自由に遊べる場所がなくなることで、夢を見る力がどんどん削がれていってしまった。今の子どもたちだって、スマホやゲームに囲まれているけど、外で自由に遊んで、自分たちで新しい遊びを考える機会が少なくなっているんじゃないかと感じます。遊びの中には夢が眠っているんです。遊びがなければ、夢は芽生えない。インターネットやAIもあるが、それでは賄えきれないほど、遊びは重要だと思う(勿論、AIなどの学びはめちゃくちゃすごいものだが)。
私が今イベントを主催しているのも、最初は遊びの延長でした。何気ない遊びの中で見つけたものが、今や夢として形になっているんです。子どもたちにも、もっと遊んでほしいし、その中で自分だけの夢を見つけてほしい。大人たちが「子どもはこうあるべきだ」と決めつけてしまうのではなく、もっと自由に、もっと思い切り夢を追いかけられる環境を作ってあげるべきだと思います。
私はこう言いたい。「俺は世界を変える男だ!」と。これは今もずっと言い続けているし、その気持ちはこれからも変わらない。今の時代、最高に自由なんだから、最高に楽しんで夢を追わないと損です。夢を持って、世界を変える男として、生きていくんです!
井下斗和でした!